写真は本日付け東京新聞の21面です。私の見解を改めて書いておきます。
前回30年前の『議会史』は、その当時の様々な資料の入手が難しいために資料的価値があるとは思います。
藤沢市議会史には資料編、年表編、記述編があるのですが、とりわけ記述編は執筆者の主観によるエッセイに過ぎず、歴史書としての価値はないと思われます。
インターネットが普及した今、資料はデジタルアーカイブス化し、歴史を証言したい人にはそれを投稿できるサイトを設ければいいのではないでしょうか。
公共的に、客観的に、歴史を物語ることなどできようはずもなく、時の権力、多数派にとって都合のいい歴史書など、巨額な税金を掛けるような公益性があるとは到底思えません。
そして、本当に議会史を編纂したいのであれば、それに備えて常に資料の整理、分析をしていれば、それをまとめれば事足ります。
しかし、藤沢市議会は『休憩』を恣意的に濫用し、知られたくない都合の悪い議論はそこで行われるため、議事録は虫食いの様になっています。また、会議資料も掲載していません。実質的に最高意思決定機関となっている非公式な代表者会の議事録もありません。
それゆえに、議事録だけでは議論を読み取ることも困難です。
普段は都合の悪いことを隠し、後から都合のいい歴史を創る。
これは議会の在り方そのものの問題です。
このような隠蔽体質、ご都合主義が常態化している現状を棚に上げ、巨額な税金を使って議会史を編纂する資格が今の藤沢市議会にあるのでしょうか?
2019年12月31日火曜日
2019年12月29日日曜日
議会制民主主義の危機
想定最大1億7千万円もの議会史編纂事業に関し、市民の声は反対が圧倒多数だと思います。
一方、議会は全会派一致して推進。市民と議会の乖離もここに極まれり、といった議会制民主主義の危機です。
市民の声を見える化し、議員らの目を醒まさせるしかありません。
是非、署名集めにご協力ください。
ネット署名(シェアもお願いします。)
http://chng.it/WMS6C28YW4
署名用紙
https://drive.google.com/open?id=12ao3xpekvE1WXdf6mQ9oPUUhGcRHn5Y6
一方、議会は全会派一致して推進。市民と議会の乖離もここに極まれり、といった議会制民主主義の危機です。
市民の声を見える化し、議員らの目を醒まさせるしかありません。
是非、署名集めにご協力ください。
ネット署名(シェアもお願いします。)
http://chng.it/WMS6C28YW4
署名用紙
https://drive.google.com/open?id=12ao3xpekvE1WXdf6mQ9oPUUhGcRHn5Y6
2019年12月17日火曜日
『休憩』濫用による議事隠蔽の典型例
<2017年9月13日議会運営委員会議事録>
https://drive.google.com/open?id=16Es9QaB86SBYr7hlLN-avhzHsKJwz2NJ
約1時間の審議中、約30分は休憩
休憩中に実質的な議論を行い、それを議事録に載せていない。
この議事録を読んでも、きわめて乱暴な議論をしているのが分かりますが、休憩中の議論がさらに酷かったであろうことは容易に想像していただけることと思います。
https://drive.google.com/open?id=16Es9QaB86SBYr7hlLN-avhzHsKJwz2NJ
約1時間の審議中、約30分は休憩
休憩中に実質的な議論を行い、それを議事録に載せていない。
この議事録を読んでも、きわめて乱暴な議論をしているのが分かりますが、休憩中の議論がさらに酷かったであろうことは容易に想像していただけることと思います。
『休憩』濫用による議事隠蔽事例(直近)
<2019年9月26日議会運営委員会議事録より>
○吉田淳基 委員長 休憩いたします。
─────────────
午前9時36分 休憩
午前9時47分 再開
─────────────
○吉田淳基 委員長 再開いたします。
◆原田建 準委員 恐れ入ります。先ほど通告に伴う要旨の文言修正について御提案をさせていただいた件なんですけれども、休憩中、種々皆さんに御意見をいただいた結果、・・・
○吉田淳基 委員長 休憩いたします。
─────────────
午前9時36分 休憩
午前9時47分 再開
─────────────
○吉田淳基 委員長 再開いたします。
◆原田建 準委員 恐れ入ります。先ほど通告に伴う要旨の文言修正について御提案をさせていただいた件なんですけれども、休憩中、種々皆さんに御意見をいただいた結果、・・・
⇒11分の休憩中、各会派の意見を聞き協議したと思われるが、何が話し合われたかは全く分からない。しかし、それを前提に議事は進行。
<2019年6月3日議会運営委員会議事録より>
◆友田宗也 委員 済みません、一点だけ、以前の議会であったんですけれども、ネクタイに関してなんですが、ネクタイ着用期間でもネクタイをされていない方がいらっしゃって、それについて特に議会運営委員会でも触れなかったんですけれども、その辺の決まりというのは実はないというような認識でよろしいんでしょうか。この期間以外の日程については、ネクタイ着用が義務というわけではないというようなことでよろしいのか確認をさせてください。
○吉田淳基 委員長 休憩いたします。
─────────────
午後3時49分 休憩
午後3時54分 再開
─────────────
○吉田淳基 委員長 再開いたします。
ただいま友田委員から御発言いただいた件に関しましては、御意見として承らせていただくということでよろしいでしょうか。(「はい」と呼ぶ者あり)
○吉田淳基 委員長 それでは、そのようにさせていただきます。
◆友田宗也 委員 済みません、一点だけ、以前の議会であったんですけれども、ネクタイに関してなんですが、ネクタイ着用期間でもネクタイをされていない方がいらっしゃって、それについて特に議会運営委員会でも触れなかったんですけれども、その辺の決まりというのは実はないというような認識でよろしいんでしょうか。この期間以外の日程については、ネクタイ着用が義務というわけではないというようなことでよろしいのか確認をさせてください。
○吉田淳基 委員長 休憩いたします。
─────────────
午後3時49分 休憩
午後3時54分 再開
─────────────
○吉田淳基 委員長 再開いたします。
ただいま友田委員から御発言いただいた件に関しましては、御意見として承らせていただくということでよろしいでしょうか。(「はい」と呼ぶ者あり)
○吉田淳基 委員長 それでは、そのようにさせていただきます。
⇒5分の休憩中に議会事務局からの説明や協議がなされたと思われるが、どのように確認されたのか、どのような協議がなされ、どうなったのか、まったく不明。
2019年12月15日日曜日
議会史編纂の資格なし!
藤沢市議会は『休憩』を恣意的に乱用し、知られたくない都合の悪い議論はそこで行われるため、議事録は虫食いの様になっています。また、会議資料も掲載されていません。実質的に最高意思決定機関となっている非公式な代表者会の議事録もありません。
それゆえに、議事録だけでは議論を読み取ることが困難です。
普段は都合の悪いことを隠し、後から都合のいい歴史を創る。
これは議会の在り方そのものの問題です。
こういう隠蔽体質、ご都合主義が罷り通っている現状を棚に上げ、巨額な税金を使って議会史を編纂する資格が今の藤沢市議会にあるのでしょうか?
それゆえに、議事録だけでは議論を読み取ることが困難です。
普段は都合の悪いことを隠し、後から都合のいい歴史を創る。
これは議会の在り方そのものの問題です。
こういう隠蔽体質、ご都合主義が罷り通っている現状を棚に上げ、巨額な税金を使って議会史を編纂する資格が今の藤沢市議会にあるのでしょうか?
2019年12月14日土曜日
どんぶり勘定で予算化強行
「編さん室の室長や会計年度任用職員2人の人件費が4年分で6160万円」!!!
(12日の議運録画7:58~)
どんなレベルの編纂をするというのか?
前回程度の情報の寄せ集め、執筆者任せ(としか思えない)であるのなら、4年間も必要ないだろう。
求められる職員の能力も問われるし、それによって掛かる時間も変わってくる。
逆に、本当に歴史上の一つ一つを検証するような内容にするのであれば、到底4年間では終わるまい。
(12日の議運録画7:58~)
どんなレベルの編纂をするというのか?
前回程度の情報の寄せ集め、執筆者任せ(としか思えない)であるのなら、4年間も必要ないだろう。
求められる職員の能力も問われるし、それによって掛かる時間も変わってくる。
逆に、本当に歴史上の一つ一つを検証するような内容にするのであれば、到底4年間では終わるまい。
税金の無駄を産み出す藤沢市議会
この審議を聞いて納得する市民はいるだろうか?
主体性なく他人事のような責任感のない言い様。
議会本位で市民不在の独断専行。
まさに密室談合の大政翼賛ではないか!
主体性なく他人事のような責任感のない言い様。
議会本位で市民不在の独断専行。
まさに密室談合の大政翼賛ではないか!
2019年12月13日金曜日
議事録軽視の本末転倒
議事録からは読み取れないことがあるから議会史編纂には意味がある、という的外れな主張が多く聞かれた。
議会制民主主義の根幹は議会における議論や議決であって、その記録が議事録である。議員は市民を代表して議会で発言や議決に臨み、市民は議会の全てを知ることができなければならない。議員は、公式に記録される議事録に、読んだ市民がしっかりと理解できるように発言しなければならない。議員の仕事は議事録に発言を残すこととも換言できる。
本来、議員が一番心掛けるべきは、議事録を読んだ市民が、議論を正確にわかりやすく理解できるように発言することである。だが、藤沢市議会のように、会議の休憩を恣意的に頻発し、込み入った議論や本音は『休憩』中に行い、都合の悪いことを議事録に残さないように操作しているから、議事録を読んでいてもその背景や本質が読み取れないのである。それこそ、議論の背景を記録しようというのであれば、休憩中の議論も議事録に載せるべきだ。
議事録は録音や速記を起こした生データである。一方、議会史を編纂するために聞き取ったり、資料集めをした場合、それが虚偽や捏造ではなく本物、真実であるかをどのようにして判断するのか?それは、学術研究レベルの検証が必要である。
そうした学術レベルの検討・検証もなされず、執筆者任せで記述された議会史など、何の役に立つと言うのか。「議会史にはこう書かれています」と言われたところで、単なる権威主義にしかならない。
本当に意味のある議会史を作りたいのであれば、そのための記録や資料の保存をしていなくてはならない。何より議事録こそが、議会制民主主義における最も重要な記録であるのだから、そこに全てを反映するように議会活動を行うことが議員の責務である。
そうした基本ができていない議会がまともな議会史を作れはしないし、形だけの無価値な遺物を創り出すために巨額の税金を浪費するなど、無駄遣い以外の何物でもない。
議会制民主主義の根幹は議会における議論や議決であって、その記録が議事録である。議員は市民を代表して議会で発言や議決に臨み、市民は議会の全てを知ることができなければならない。議員は、公式に記録される議事録に、読んだ市民がしっかりと理解できるように発言しなければならない。議員の仕事は議事録に発言を残すこととも換言できる。
本来、議員が一番心掛けるべきは、議事録を読んだ市民が、議論を正確にわかりやすく理解できるように発言することである。だが、藤沢市議会のように、会議の休憩を恣意的に頻発し、込み入った議論や本音は『休憩』中に行い、都合の悪いことを議事録に残さないように操作しているから、議事録を読んでいてもその背景や本質が読み取れないのである。それこそ、議論の背景を記録しようというのであれば、休憩中の議論も議事録に載せるべきだ。
議事録は録音や速記を起こした生データである。一方、議会史を編纂するために聞き取ったり、資料集めをした場合、それが虚偽や捏造ではなく本物、真実であるかをどのようにして判断するのか?それは、学術研究レベルの検証が必要である。
そうした学術レベルの検討・検証もなされず、執筆者任せで記述された議会史など、何の役に立つと言うのか。「議会史にはこう書かれています」と言われたところで、単なる権威主義にしかならない。
本当に意味のある議会史を作りたいのであれば、そのための記録や資料の保存をしていなくてはならない。何より議事録こそが、議会制民主主義における最も重要な記録であるのだから、そこに全てを反映するように議会活動を行うことが議員の責務である。
そうした基本ができていない議会がまともな議会史を作れはしないし、形だけの無価値な遺物を創り出すために巨額の税金を浪費するなど、無駄遣い以外の何物でもない。
朝日新聞デジタル
議会史作成に1.7億円、中止の陳情認めず 藤沢市議会
秦忠弘
議会史については今年9月、2020年4月から23年3月まで4年間かけて作る方針を市議会が決定。1989年4月から2019年3月までの約30年間にわたる議会の歴史をまとめる内容で、前回(1991年)作成した時を参考に、費用の試算は約1億7千万円とした。
市議会内には10月、議会史編纂(へんさん)委員会が組織された。予算は縮減する方向となり、20年度予算計上の要望は約1500万円とした。これに対し、市民から「議事録はインターネットで検索できる。約1億7千万もの予算に見合った必要性が感じられない」などとして、中止を求める陳情が11月に提出された。
この日の討論では、最大会派の民主・無所属クラブの安藤好幸市議が「議会史編纂は税の無駄遣いではない。経費の削減については共通課題と認識している」などと反対討論を述べた。ほかの4会派も反対討論をし、全会一致で陳情を不了承とした。(秦忠弘)
署名に協力を!見えない声は無視されてしまいます。
これまで、議員以外から議会史編纂に賛成の声は一切聞こえてきません。
市民感覚なき藤沢市議会。
議会に市民の声を代弁する議員がいない以上、市民の声を見える化し、議員の目を醒まさせるしか、議会の暴走を止めることはできません。
本来なら、市民の声を全く反映しない議会など、リコール(解散請求)するレベルですが、少なくとも議会史の性急な予算化を阻止するべく、署名を集めて、議会に届けましょう!
ネット署名
http://chng.it/dsWvr9R5cd
署名用紙PDF
市民感覚なき藤沢市議会。
議会に市民の声を代弁する議員がいない以上、市民の声を見える化し、議員の目を醒まさせるしか、議会の暴走を止めることはできません。
本来なら、市民の声を全く反映しない議会など、リコール(解散請求)するレベルですが、少なくとも議会史の性急な予算化を阻止するべく、署名を集めて、議会に届けましょう!
ネット署名
http://chng.it/dsWvr9R5cd
署名用紙PDF
https://drive.google.com/open?id=12ao3xpekvE1WXdf6mQ9oPUUhGcRHn5Y6
2019年12月12日木曜日
全会一致で議会史中止陳情を否決
議会運営委員会の議会史予算化中止を求める陳情の審査は、全会一致で否決されました。
藤沢市議会には市民の声を代弁してこれに異を唱える会派は皆無であることがはっきりしました。(会派に埋もれた議員はいるかもしれないが、今のところ出る杭は見当たらない。)
藤沢市議会には市民の声を代弁してこれに異を唱える会派は皆無であることがはっきりしました。(会派に埋もれた議員はいるかもしれないが、今のところ出る杭は見当たらない。)
大方の議員が、概算事業費1億7千万円の縮減は必要との共通認識はあるようだが、本気度がまるでない。このドンブリ勘定が打ち出されてから3か月が経過したが、ドンブリ勘定のまま、初年度予算を市の来年度予算に盛り込もうとしている。
総事業費の最大は出されているが、最小はない。縮減目標もない。
総事業費の最大は出されているが、最小はない。縮減目標もない。
歴史を記録することが必要だと言うが、ならばなぜ常日頃からそうした視点で取り組んでいないのか?むしろ常に議会史編纂室を設け、議会報にそうしたコーナーを作るなど、コツコツと記録するといった努力もしていないのに、取ってつけたように必要性を唱えられたところで全く説得力がない。
なぜ予算化を急ぐのか?
改元に合わせ、平成を総括したい、来年の市政80周年を記念して、とのことだが、改元予定は2017年6月には決まっていた。事業期間は4年間で市政80周年には間に合わない。
本心から必要な事業であると言うのなら、念入りに予算を練り、市民の理解を得ながら進めるべきところ、市民周知を全くしないうちに、不用意などんぶり勘定で予算計上し既成事実化してしまおうなどというのは、まったくの市民無視であり、市民を馬鹿にしている。(市の予算がこんなどんぶり勘定で肥大した予算であれば批判が殺到するはずだが、議会が自らを棚に上げてどんぶり勘定を市の予算に議会費として盛り込ませるようなことをすれば、市に対する示しがつかなくなる。)
数多ある出来事の中で何に注目し、何を取り上げるというのか?
何に重きを置くかは人によって千差万別。
限られた人々が恣意的に論点、出来事を抜粋し、その主観で記述され偏向した歴史物語など、何の価値があるというのか?
本当に価値のある出来事は研究者が主体的に取り上げ研究する。
見向きもされないけれど記録に残したいことがあるのであれば個別に検証し報告書を作成したり、当事者が個人で執筆すればいい。
そもそも、公共性・公益性のある、客観性のある議会史など作りようがなく、関係者に都合のいい歴史が作られる。多くの市民にとっては有害無益。
(例えば、私は、姉妹都市親善交流会の席上、藤沢側の女性市議3人がブルゾンちえみの真似をし、男性議員二人が上半身裸になって踊った暴挙を議会で取り上げたことがあるが、こうした市民の代表者としてあるまじき行為を二度と繰り返してはならない、といった大義をもって議会史の一節に取り上げられることはまずないだろう。当時も、私が問題視したこと自体が問題だとの意見が大勢をしめ、発言訂正や謝罪まで求められたくらいだから、歴史の闇に葬り去るに違いない。興味ある方は以下を参照)
なぜ予算化を急ぐのか?
改元に合わせ、平成を総括したい、来年の市政80周年を記念して、とのことだが、改元予定は2017年6月には決まっていた。事業期間は4年間で市政80周年には間に合わない。
本心から必要な事業であると言うのなら、念入りに予算を練り、市民の理解を得ながら進めるべきところ、市民周知を全くしないうちに、不用意などんぶり勘定で予算計上し既成事実化してしまおうなどというのは、まったくの市民無視であり、市民を馬鹿にしている。(市の予算がこんなどんぶり勘定で肥大した予算であれば批判が殺到するはずだが、議会が自らを棚に上げてどんぶり勘定を市の予算に議会費として盛り込ませるようなことをすれば、市に対する示しがつかなくなる。)
数多ある出来事の中で何に注目し、何を取り上げるというのか?
何に重きを置くかは人によって千差万別。
限られた人々が恣意的に論点、出来事を抜粋し、その主観で記述され偏向した歴史物語など、何の価値があるというのか?
本当に価値のある出来事は研究者が主体的に取り上げ研究する。
見向きもされないけれど記録に残したいことがあるのであれば個別に検証し報告書を作成したり、当事者が個人で執筆すればいい。
そもそも、公共性・公益性のある、客観性のある議会史など作りようがなく、関係者に都合のいい歴史が作られる。多くの市民にとっては有害無益。
(例えば、私は、姉妹都市親善交流会の席上、藤沢側の女性市議3人がブルゾンちえみの真似をし、男性議員二人が上半身裸になって踊った暴挙を議会で取り上げたことがあるが、こうした市民の代表者としてあるまじき行為を二度と繰り返してはならない、といった大義をもって議会史の一節に取り上げられることはまずないだろう。当時も、私が問題視したこと自体が問題だとの意見が大勢をしめ、発言訂正や謝罪まで求められたくらいだから、歴史の闇に葬り去るに違いない。興味ある方は以下を参照)
2019年12月11日水曜日
市民に向き合わない藤沢市議会
陳情者が訪ねてきているのに、話を聞くことすらしない議員というのはなんなのか?
予算の本要求はまだで、スケジュールはずれ込んでいるようですが、10月8日以降、時間はあったのに、予算を揉むような会議は開かれず、当初の1億7千万円の予算案のまま概算要求しているというのは、本気でこの事業に向き合っていないということに他なりません。
市の事業予算を削ってまでやるのに、しっかりとした準備もせずに見切り発車するなど、あまりに市民を馬鹿にしている。
せいぜい、一年くらい揉んで、最小予算で最高価値のあるものを作ろう、市民にとって意義あるものにしよう、と万全の準備をした上であればまだしも、まったく説得力のない、議会の自己満足、場当たり的な無駄遣い、としか言いようがない。
予算の本要求はまだで、スケジュールはずれ込んでいるようですが、10月8日以降、時間はあったのに、予算を揉むような会議は開かれず、当初の1億7千万円の予算案のまま概算要求しているというのは、本気でこの事業に向き合っていないということに他なりません。
市の事業予算を削ってまでやるのに、しっかりとした準備もせずに見切り発車するなど、あまりに市民を馬鹿にしている。
せいぜい、一年くらい揉んで、最小予算で最高価値のあるものを作ろう、市民にとって意義あるものにしよう、と万全の準備をした上であればまだしも、まったく説得力のない、議会の自己満足、場当たり的な無駄遣い、としか言いようがない。

福井雄一
本日は、民主・無所属クラブの柳田議員、清水議員、永井議員、谷津議員が在席となっていたので、事務局に声を掛けてもらったが、忙しいとのことで会ってもらえませんでした。また、公明党の松下議員は在席表示となっていましたが、不在。湘風会の堺議員、杉原議員は在席でしたが、こちらも出てきてくれませんでした。
これまでに話を聞けた議員からは、予算は縮減するべきだと思っているとの声が聞かれましたが、議会事務局の話では、10月8日の第一回編さん(準備)委員会を開催した後、これまで会議は開かれておらず、当初の予算案のまま概算要求をしている。予算の本要求がまだ固まらないので遅れているようにみえるが、12月27日までに示達する予定。遅れることもある。とのことでした。
元凶!非公式な最高意思決定機関『会派代表者会』
藤沢市議会の分かり難さの元凶は、議会に関わる問題を、ほぼ全て非公式な会派代表者会(通称「団長会議」。3人以上会派の代表者による会議体で議長が招集する)において協議し、それが最高意思決定機関のようになっていることにある。そこでの合意に会派が縛られ、そして議員が会派に縛られ、表向き全会一致で仲良くまとまっているように見せている。
議会運営委員会における議会史に関する議論でも、非公式であるはずの代表者会での団長の発言を引いてきたり、休憩ばかり挟んで休憩中に議論をして、そうした本当の議論は議事録に載せないようにされている。
本来、議員はそれぞれ選挙で選ばれているのだから、各人独立した権能を有している。議員が36人もいれば様々な議論がなされるはずなのに、ほとんど議論らしい議論が見られない。やたらと議事整理に躍起となっており、事前の調整、予定調和が重んじられている。混乱なく議事が進行するに越したことはないが、外から見ていると、必要な検討や議論が抜け落ちて見えてしまう。
そして、実際、見落としていたり、自分たちに都合よく誤魔化していることが多々あるのである。
議会運営委員会における議会史に関する議論でも、非公式であるはずの代表者会での団長の発言を引いてきたり、休憩ばかり挟んで休憩中に議論をして、そうした本当の議論は議事録に載せないようにされている。
本来、議員はそれぞれ選挙で選ばれているのだから、各人独立した権能を有している。議員が36人もいれば様々な議論がなされるはずなのに、ほとんど議論らしい議論が見られない。やたらと議事整理に躍起となっており、事前の調整、予定調和が重んじられている。混乱なく議事が進行するに越したことはないが、外から見ていると、必要な検討や議論が抜け落ちて見えてしまう。
そして、実際、見落としていたり、自分たちに都合よく誤魔化していることが多々あるのである。
民主主義が健全に機能するためには、主権者たる市民が、その意思決定過程を検証できなくてはならない。検証するためには透明でなくてはならない。
行政にはそれを求めておきながら、議会が自らを棚に上げて不透明だから、言わずもがな、行政に対する姿勢も甘くなる。
行政にはそれを求めておきながら、議会が自らを棚に上げて不透明だから、言わずもがな、行政に対する姿勢も甘くなる。
行政も、議会も、誰のために存在しているかと言えば、当然市民のために存在しているのである。何より市民にとって必要なのは、予定調和を見せられることではなく、意思決定過程や実態が見れるようになっていることで、そのためには透明でなくてはならない。
そもそも非公式な代表者会が最高意思決定機関であるかに存在しているのは、極めて前近代的で、非民主主義的だ。そうした会議があってもいいが、公開し、議事録を残すべきだ。
2019年12月10日火曜日
杜撰な予算化スケジュール
議会史に関して、市民に対し、議会報などの公式な広報が全くなされていない以上、一般市民として入手できる情報は、公開の会議の会議録や会議資料しかないわけですが、9月12日に予算案やスケジュール案が議運に出されて以降、それが見直されたといったことは見て取れませんが、スケジュールでは、初年度予算の概算要求を11月頭に出し、12月末には示達があることになっています。
どうなっているのやら?
こんないい加減な検討で、雪崩れ込むようにして億単位の事業を始めてしまっていいものでしょうか?
この間、こんな予算があるのならもっとこんなことに使ってほしい、といった意見をよく聞きましたが、この議会史編さん事業の予算は、市の一般予算を削って捻出されるもので、余っている予算を使うわけではないのです。すなわち、議会史を作るために、予算を削られる市の事業があるということです。それほどの公共性、市民にとっての必要性があるとはとても思えません。
どうなっているのやら?
こんないい加減な検討で、雪崩れ込むようにして億単位の事業を始めてしまっていいものでしょうか?
この間、こんな予算があるのならもっとこんなことに使ってほしい、といった意見をよく聞きましたが、この議会史編さん事業の予算は、市の一般予算を削って捻出されるもので、余っている予算を使うわけではないのです。すなわち、議会史を作るために、予算を削られる市の事業があるということです。それほどの公共性、市民にとっての必要性があるとはとても思えません。
福井雄一
昨日は、市民クラブの佐賀議員と栗原議員、本日はアクティブ藤沢の原田議員にご意見を伺ってきました。
佐賀さんは、議会史編纂に肯定的な考え。総予算1億7千万に関しては正直、驚いた。しかし、会派としては編さん事業はやりたい。私もタブレット派なので書籍に関しては少なくていい。ご健在の先輩議員の意見や当時のことを聞くなどして編さんしていきたい。金額はだいぶ削減可能。全会派が一致して賛成したのは予算額が出る前の話。議会史編さんは3回目であるから継承し、時期も30年たち区切りがいいので賛成した。減額する方向で推進していく。
原田議員は、予算額を聞いて驚き、これについてはないだろうな、と思った。陳情も出ているので今後の対応を見極めていきたい。アーカイブ的な物で充分。書物にあれだけのお金掛けてやる必要はない。ただ、議会運営委員会では準委員で議決権がないので、反対意見は述べていく。
その他、公明党の東木議員はお忙しいとのことで会ってもらえず、湘風会の堺議員は出退電子版には登庁と出ていましたが、事務局に呼んでもらったところ、ご不在とのことでした。
2019年12月8日日曜日
市民の(声の)見える化
私は、市民派議員として、1期4年間、どんな市民の声にも耳を傾け、組織の論理に与せず、おかしいことはおかしい、良いことは良い、と主張し続けました。例え議場に賛同者がいなくとも、見て見ぬフリせずに是々非々を貫きました。
しかし、先の選挙で落選した今、私が議場で市民の声を代弁することはできません。代弁する現職議員も見出せず、情けない限りです。
議会史編纂事業に1億7千万円もの税金を投入することは、まったくに藤沢市議会の自己満足・独善としか思えません。はたして市民のために本当に必要な事業だと信念をもっている議員などいるのでしょうか?
こんな税金の無駄遣いを容認する市民はいないと思います。
似たような、議会や市役所のしていることの問題は多々あるわけですが、なかなかその動きを市民が知る機会もないため、市民の知らないところで議会や役所の独善が罷り通っているのが実態です。
議員の本分は市民のために市民を代表することです。本来は、議員自らが本分を果たすために、市民に向き合い、常に市民感覚を持つべきですが、議会全体が市民感覚を見失っている以上、市民の声を見える化するしかありません。そのために、署名は最も有効な手段です。
市民の怒りを見える化できない限り、こんなあからさまな税金の無駄遣いも、このまま罷り通ってしまいます。タイムリミットは2月定例会で予算が成立するまでです。市の来年度予算に初年度予算が計上されるの既定路線ですが、一度予算が通ってしまえば、余程のことがない限り後戻りはできなくなります。
ぜひ、市民の声を見える化するための署名集めに、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
ネット署名
http://chng.it/dsWvr9R5cd
署名用紙
https://drive.google.com/open?id=12ao3xpekvE1WXdf6mQ9oPUUhGcRHn5Y6
(署名用紙を独自に作っていただき、直接議会事務局にお持ちいただいても構いません。手紙を書くのも有効です。)
しかし、先の選挙で落選した今、私が議場で市民の声を代弁することはできません。代弁する現職議員も見出せず、情けない限りです。
議会史編纂事業に1億7千万円もの税金を投入することは、まったくに藤沢市議会の自己満足・独善としか思えません。はたして市民のために本当に必要な事業だと信念をもっている議員などいるのでしょうか?
こんな税金の無駄遣いを容認する市民はいないと思います。
似たような、議会や市役所のしていることの問題は多々あるわけですが、なかなかその動きを市民が知る機会もないため、市民の知らないところで議会や役所の独善が罷り通っているのが実態です。
議員の本分は市民のために市民を代表することです。本来は、議員自らが本分を果たすために、市民に向き合い、常に市民感覚を持つべきですが、議会全体が市民感覚を見失っている以上、市民の声を見える化するしかありません。そのために、署名は最も有効な手段です。
市民の怒りを見える化できない限り、こんなあからさまな税金の無駄遣いも、このまま罷り通ってしまいます。タイムリミットは2月定例会で予算が成立するまでです。市の来年度予算に初年度予算が計上されるの既定路線ですが、一度予算が通ってしまえば、余程のことがない限り後戻りはできなくなります。
ぜひ、市民の声を見える化するための署名集めに、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
ネット署名
http://chng.it/dsWvr9R5cd
署名用紙
https://drive.google.com/open?id=12ao3xpekvE1WXdf6mQ9oPUUhGcRHn5Y6
(署名用紙を独自に作っていただき、直接議会事務局にお持ちいただいても構いません。手紙を書くのも有効です。)
2019年12月6日金曜日
公共性なき議会史発行
議会史編さんの予算は、計画的に積み立てられてはおらず、市の一般会計予算に計上される見込みです。すなわち何かしら市の予算が削られるということです。
議会史の編さんなど現代においては必要性がなく、自己満足のための事業でしかないのですから、本来であれば各議員が少しずつ拠出して積み立ててやるような自主的な事業なのだと私は思います。
これまでに発行していた他市町村でも多くが見直しを行っているのに、藤沢市議会には一人も反対する議員がいないというのは異常です。議会と市民感覚との乖離は危機的です。
民意を見える化しなければなりません。サイレントマジョリティは無視されます。
2月定例会に予算計上され、可決されれば後戻りはできなくなります。
短期集中で、民意を見える化するために、署名集めのほど、ご協力お願いいたします。
議会史の編さんなど現代においては必要性がなく、自己満足のための事業でしかないのですから、本来であれば各議員が少しずつ拠出して積み立ててやるような自主的な事業なのだと私は思います。
これまでに発行していた他市町村でも多くが見直しを行っているのに、藤沢市議会には一人も反対する議員がいないというのは異常です。議会と市民感覚との乖離は危機的です。
民意を見える化しなければなりません。サイレントマジョリティは無視されます。
2月定例会に予算計上され、可決されれば後戻りはできなくなります。
短期集中で、民意を見える化するために、署名集めのほど、ご協力お願いいたします。
福井雄一
昨日、市議会議員の柳沢潤二さんにお会いしてきました。いつも呪文のように「不要不急の公共工事は見直し、廃止し、住民の福祉、命と暮らしを守り、充実させるという地方自治体の本来の役割をしっかり果たすべき」と言うのが常套句の共産党さんが、議会史編さんに関してはどのような姿勢でいるのかをお聞きしました。「3度目の編さんなので、伝統的な事として賛成した」とのことで、あまり深くは考えていなかったようです。予算の額についても高いと思っていなかったようです。私はこの額を聞いて驚き、急遽締め切り前日に汚い字で陳情を書いたのです。藤沢市議会では共産党までもが市民感覚を見失っているのかと絶望しました。改めて、民意を示すことが必要だと実感しました。
昨日、市議会議員の柳沢潤二さんにお会いしてきました。いつも呪文のように「不要不急の公共工事は見直し、廃止し、住民の福祉、命と暮らしを守り、充実させるという地方自治体の本来の役割をしっかり果たすべき」と言うのが常套句の共産党さんが、議会史編さんに関してはどのような姿勢でいるのかをお聞きしました。「3度目の編さんなので、伝統的な事として賛成した」とのことで、あまり深くは考えていなかったようです。予算の額についても高いと思っていなかったようです。私はこの額を聞いて驚き、急遽締め切り前日に汚い字で陳情を書いたのです。藤沢市議会では共産党までもが市民感覚を見失っているのかと絶望しました。改めて、民意を示すことが必要だと実感しました。
2019年12月5日木曜日
民意の見える化を

来年2月定例会で、来年度の全体予算に紛れて初年度予算約3千万円が計上されようとしています。市民感覚と乖離した議会に対し、市民の多くが反対していることを示さなくてはなりません。
集まった署名は、署名用紙に書かれている提出代表者宛てに郵送ください。
署名用紙PDF:
https://drive.google.com/open?id=12ao3xpekvE1WXdf6mQ9oPUUhGcRHn5Y6
ネット署名:
http://chng.it/dsWvr9R5cd
2019年12月1日日曜日
藤沢市議会の暴走
この時代にあって、敢えて巨額の予算を掛けて議会史を編纂する意義があるのでしょうか?
先の9月議会開会中、3度の議会運営委員会で議題に上げ検討された中では、どの会派からも編纂することに関しての異論は出ていません。非公開の会派代表者会議などで手打ちがあったであろうことは想像できますが、それでも身を挺して反対する議員が一人くらいいないものかと情けなくなります。
議会資料によると、神奈川県内他市18市中、今後議会史編纂を予定しているのは1市(相模原市)のみ。12市はこれまでも発行していない。また、藤沢市と同規模他市34市中、今後の編纂予定があるのも1市(川越市)のみ。
こうした他市の実態を踏まえた上で、独善を貫く藤沢市議会とはいったいなんなのか?
既に、10月8日に第1回目の藤沢市議会史編さん委員会が開催されています。しかし、この会議の議事録はネット公開されていませんし、議会だよりでも全く触れられていません。市民の知らないうちにどんどん既成事実化されていきます。
(9月12日の議会運営委員会資料)
https://drive.google.com/open?id=1e3oDfy9oQd-V-YWX3kVxUOE1Ms0chefi
中止を求める署名
http://chng.it/dsWvr9R5cd
先の9月議会開会中、3度の議会運営委員会で議題に上げ検討された中では、どの会派からも編纂することに関しての異論は出ていません。非公開の会派代表者会議などで手打ちがあったであろうことは想像できますが、それでも身を挺して反対する議員が一人くらいいないものかと情けなくなります。
議会資料によると、神奈川県内他市18市中、今後議会史編纂を予定しているのは1市(相模原市)のみ。12市はこれまでも発行していない。また、藤沢市と同規模他市34市中、今後の編纂予定があるのも1市(川越市)のみ。
こうした他市の実態を踏まえた上で、独善を貫く藤沢市議会とはいったいなんなのか?
既に、10月8日に第1回目の藤沢市議会史編さん委員会が開催されています。しかし、この会議の議事録はネット公開されていませんし、議会だよりでも全く触れられていません。市民の知らないうちにどんどん既成事実化されていきます。
(9月12日の議会運営委員会資料)
https://drive.google.com/open?id=1e3oDfy9oQd-V-YWX3kVxUOE1Ms0chefi
中止を求める署名
http://chng.it/dsWvr9R5cd
2019年11月30日土曜日
時代錯誤の議会史編さん
以下で前回約30年前に編纂された藤沢市議会史を読むことができます。http://fujisawagikai.sakura.ne.jp/201909gikai/720920190900.pdf
大層な装丁ですが、内容は表面的で情報の羅列に過ぎません。
議会運営委員会の会議資料には、「議会活動・住民運動等を客観的に記述し後世に遺すべく・・・編さんされてきた」とあります。
しかし、社会は益々多様化、情報化しており、収集可能な資料の量は桁違いであると思われます。はたしてどのようにして編さんするというのでしょうか?担当者の視座に偏るのは必然で、そうした偏った見方で網羅しただけの読み物など誰が読むのでしょうか?何の役に立つのでしょうか?そんなものに価値があるのでしょうか?
編さん事業中止を求める賛同署名にご協力ください。
2019年11月27日水曜日
議会史編さん中止署名
藤沢市議会の暴走を止めるための賛同署名を始めました。
以下が陳情理由です。
①議事録はインターネットで検索可能であるし、市史に関しては市史編纂室(文書館)が多種多様な刊行物を出版しており、代替可能である。
②約1億7千万円もの予算に見合った必要性が感じられない。パブリックコメントや市民アンケートなどを実施し、市民理解が得られるのか、既刊の議会史がどれほどの役に立っているのか、等を検証してから本事業の必要性を検討するべきである。市民を無視して議会が暴走しているとしか思えない。
③市政の課題は逼迫しており、議員の仕事は山積しているはずだ。このような税金の無駄遣いに議会の費用や時間を浪費するべきではない。
賛同署名
先の9月議会の議会運営委員会で、前回の議会史編纂から30年が経過したことを理由に、また新しく編纂事業を行うことが、市民のまったく知らないうちに決められてしまいました。(9月12日議会運営委員会の議事録参照)
4年間で約1億7千万円もの税金を費やす一大事業で、来年の2月定例会で予算計上する見込みです。
昨日、市民から中止を求める議会陳情が出されました。(12月12日の議会運営委員会で議決されます。)
先の9月議会の議会運営委員会で、前回の議会史編纂から30年が経過したことを理由に、また新しく編纂事業を行うことが、市民のまったく知らないうちに決められてしまいました。(9月12日議会運営委員会の議事録参照)
4年間で約1億7千万円もの税金を費やす一大事業で、来年の2月定例会で予算計上する見込みです。
昨日、市民から中止を求める議会陳情が出されました。(12月12日の議会運営委員会で議決されます。)
以下が陳情理由です。
①議事録はインターネットで検索可能であるし、市史に関しては市史編纂室(文書館)が多種多様な刊行物を出版しており、代替可能である。
②約1億7千万円もの予算に見合った必要性が感じられない。パブリックコメントや市民アンケートなどを実施し、市民理解が得られるのか、既刊の議会史がどれほどの役に立っているのか、等を検証してから本事業の必要性を検討するべきである。市民を無視して議会が暴走しているとしか思えない。
③市政の課題は逼迫しており、議員の仕事は山積しているはずだ。このような税金の無駄遣いに議会の費用や時間を浪費するべきではない。
ぜひ賛同のほどお願いいたします。
公共の私物化と差別
そもそも、なぜ功績・功労のあった人を、税金を使って労う必要があるのか?
労われて嫌な人は少ないだろうが、大概、本質的に功績・功労をなす人々は、労われることを目的に取り組んではいないだろう。
埋もれている功績・功労を評価し、表彰することには、その価値を社会全体で共有するといった意味もある。
しかし、評価されていない数多の功績・功労のある人々をよそ目に、一部の恵まれた評価されている人たちだけを特別扱いするのは不公平であるし、そもそも、功績・功労のある人と、そうした評価をされていない人とを分けて処遇することは、差別に他ならない。
実際には、有名人を式典に呼んだり、宴席に招待したりするのは、労うだとか恩着せがましいことを言っているが、主催側の本心は、イベントの格付けや権威付け、お飾り、といった意味合いの方が大きいに違いない。要は、利用されているわけだが、そうして盛り上げるべき価値のあるイベントであるのなら構わないが、どうでもいい会に功績・功労のあるような人々の貴重な時間を浪費するのは公益に反しているし、失礼だ。それを誤魔化すために、贅を尽くして歓待するわけだが、私的なイベントであるならまだしも、税金を使ってやることではない。
労われて嫌な人は少ないだろうが、大概、本質的に功績・功労をなす人々は、労われることを目的に取り組んではいないだろう。
埋もれている功績・功労を評価し、表彰することには、その価値を社会全体で共有するといった意味もある。
しかし、評価されていない数多の功績・功労のある人々をよそ目に、一部の恵まれた評価されている人たちだけを特別扱いするのは不公平であるし、そもそも、功績・功労のある人と、そうした評価をされていない人とを分けて処遇することは、差別に他ならない。
実際には、有名人を式典に呼んだり、宴席に招待したりするのは、労うだとか恩着せがましいことを言っているが、主催側の本心は、イベントの格付けや権威付け、お飾り、といった意味合いの方が大きいに違いない。要は、利用されているわけだが、そうして盛り上げるべき価値のあるイベントであるのなら構わないが、どうでもいい会に功績・功労のあるような人々の貴重な時間を浪費するのは公益に反しているし、失礼だ。それを誤魔化すために、贅を尽くして歓待するわけだが、私的なイベントであるならまだしも、税金を使ってやることではない。
2019年11月26日火曜日
犯罪者は弱者ではない
少なくとも、被害者のいる、悪意・身勝手な加害犯罪者は弱者ではない。
(詐欺・窃盗・暴行・・・)
悪意・身勝手な加害犯罪者は罪を償うべきで、相応の制裁を受けさせるべきだ。
ルールから逸脱した存在は、ルールに縛られ、ルール下で制裁を受ける立場であるという意味では、弱者であるに違いない。
ルールが間違っている場合もある。
どんな罪でも社会的要因が皆無であるなどということはない。
しかし、とりわけ、被害者に対しては、暴力的な強者であったのである。
人間には主体的な意思・判断力がある(と私は思っている)。
被害を繰り返さないためにも、主体的な意思に基づく加害犯罪者には、罪に対する代償を払わせ、矯正、もしくは懲らしめ、再犯を防止、犯罪を抑止しなくてはならない。
(詐欺・窃盗・暴行・・・)
悪意・身勝手な加害犯罪者は罪を償うべきで、相応の制裁を受けさせるべきだ。
ルールから逸脱した存在は、ルールに縛られ、ルール下で制裁を受ける立場であるという意味では、弱者であるに違いない。
ルールが間違っている場合もある。
どんな罪でも社会的要因が皆無であるなどということはない。
しかし、とりわけ、被害者に対しては、暴力的な強者であったのである。
人間には主体的な意思・判断力がある(と私は思っている)。
被害を繰り返さないためにも、主体的な意思に基づく加害犯罪者には、罪に対する代償を払わせ、矯正、もしくは懲らしめ、再犯を防止、犯罪を抑止しなくてはならない。
2019年11月21日木曜日
リスクマネジメントと科学主義
子宮頸がんワクチンの積極勧奨をするべきだ、との主張と、副反応疑いとの因果関係が払拭できないのであるから定期接種も中止せよ、との両極の主張がぶつかっている。
現状は、定期接種となってはいるが、積極勧奨はされていない。
藤沢市議会などは、2017年6月議会で、被害者団体からの中止を求める陳情を賛成多数で可決し、国に対して意見書を出している。議会の判断は、市の対応にも影響する。
私は、少なくとも、誰もが任意に無料で受けられる定期接種であることは維持するべきだと主張し、反対した。しかし、公共の公衆衛生施策としては、接種率を上げなくては意味がない。
名古屋スタディ等でワクチン接種と副反応疑いの因果関係が認められなかったことからすると、接種時期と副反応疑いと同様の症例が自然発生する時期とが被ることで、因果関係があるように錯覚している可能性が考えられる。ならば、接種時期を接種可能な9歳まで引き下げることも検討するべきではないか。
また、以下のようなサイトで懸念されているワクチンの成分や設計についても、より安全なものとなるよう、不安が払しょくできるよう、常に改良、リスクの低減に努めるべきだ。
http://vaccine.luna-organic.org/?page_id=20
リスクのない科学技術など存在しないのだから、予防効果が明らかで、副作用のリスクより病気で死ぬリスクの方がはるかに大きいのであれば、みすみす死を選ぶよりは接種するべきだ、とも思えるが、死に繋がるウイルス感染は予防できても、一方で、生活の質や生殖・遺伝に悪影響があるのであれば、死ぬよりマシだろ、と言えるほど単純な問題ではない。
原理的に、悪影響のあるなしを全て把握しきれはしないのだから、常に科学を過信してはならない。
現状は、定期接種となってはいるが、積極勧奨はされていない。
藤沢市議会などは、2017年6月議会で、被害者団体からの中止を求める陳情を賛成多数で可決し、国に対して意見書を出している。議会の判断は、市の対応にも影響する。
私は、少なくとも、誰もが任意に無料で受けられる定期接種であることは維持するべきだと主張し、反対した。しかし、公共の公衆衛生施策としては、接種率を上げなくては意味がない。
名古屋スタディ等でワクチン接種と副反応疑いの因果関係が認められなかったことからすると、接種時期と副反応疑いと同様の症例が自然発生する時期とが被ることで、因果関係があるように錯覚している可能性が考えられる。ならば、接種時期を接種可能な9歳まで引き下げることも検討するべきではないか。
また、以下のようなサイトで懸念されているワクチンの成分や設計についても、より安全なものとなるよう、不安が払しょくできるよう、常に改良、リスクの低減に努めるべきだ。
http://vaccine.luna-organic.org/?page_id=20
リスクのない科学技術など存在しないのだから、予防効果が明らかで、副作用のリスクより病気で死ぬリスクの方がはるかに大きいのであれば、みすみす死を選ぶよりは接種するべきだ、とも思えるが、死に繋がるウイルス感染は予防できても、一方で、生活の質や生殖・遺伝に悪影響があるのであれば、死ぬよりマシだろ、と言えるほど単純な問題ではない。
原理的に、悪影響のあるなしを全て把握しきれはしないのだから、常に科学を過信してはならない。
2019年11月20日水曜日
香港の人道危機
国家犯罪に等しく、国民の命を脅かすような国家は、国家としての資格はなく、国家として破綻している
民主主義概念のない中国に民主化を求めたところで叶いはしない
一刻も早く、香港人の民族自決、分離独立を実現するべく、国際社会は手を差し伸べるべきだ
2019年11月18日月曜日
桜を見る会の前夜祭の謎
後援会への入出金がなく、明細がないとしても、ホテルとの契約書はあるだろう。参加者への供応、ホテルとの癒着など、これだけ疑義が持たれているのだから、契約書など関係書類を公表するべきだ。
そもそも、イベントを開催する際に主催者に何の収支も生じないなどということがありうるだろうか?
イベント会社などに収支も含めて全てを丸投げするということはあり得なくはない。その際、もし黒字となった場合には、その分を依頼者に戻すか、依頼者からの報酬といった形で仕訳なければ、単に運営を依頼されたというに留まらず、イベント会社の収益事業となってしまう。
イベント会社が儲かるようにインセンティブを与える契約があってもいい。しかし、民間同士であるなら問題ないだろうがが、政治団体や公共団体であれば話は別だ。(これら団体は収益を目的としていないため法人税が課されない。)政治団体や公共事業を利用して、運営を委託された事業者が委託費などの決められた対価とは別に収益を懐に入れるなど許されない。(が、結構こうした公私混同が至る所にある。)
安部後援会の「桜を見る会の前夜祭」場合、運営をホテルに丸投げし、ホテルがホテルの事業として参加者から料金を徴収しているような説明がなされている。
一般的には、会場費を後援会が払うという形か、運営を委託していたとすれば、参加費は後援会の収入とした上で、委託費を後援会が払う形とするべきで、ホテルの事業の形として、後援会との間で金銭のやり取りがない、などということなのであればやはり問題だろう。民間事業者が政治団体と結託し、政治活動を利用して儲けているということになる。
後援会のイベントであるのだから、後援会が参加費を徴収しない、後援会が会場費等を支出しないというのは、かなり異様だ。
しかし、多くの政治家は、わが身にも降りかかってくるのでなかなか徹底追及できないのだと思われます。だから共産党が先陣切って闘っているのですね。
酒井信孝 日本社会には、よくよく考えるとおかしなことが溢れていますね。これまでの自浄能力がなかったことを嘆いてもしょうがないので、これから自浄能力を発揮していかなくてはなりません。
2019年11月14日木曜日
ボランティア頼み防災政策の無責任
ボランティア精神は尊い。
しかし、無償ボランティアを前提にした公共政策は間違っている。
公務員もNPOの有給スタッフも、仕事として報酬を得ている。
一方で、無償のボランティアは、身を削っている。
無償労働であり、寄付、奉仕である。
そうした善意に甘え、依存する、場当たり的な防災政策は無責任だ。
必要な労力は、確実に確保するべきで、予測のつかない自発的なボランティアの善意に頼るべきではない。
何の備えもない非常時であれば致し方ないが、非常時に備える防災政策としては、有償のボランティア、臨時雇用、といった、災害時のための予算を常に確保しておくべきだ。
しかし、無償ボランティアを前提にした公共政策は間違っている。
公務員もNPOの有給スタッフも、仕事として報酬を得ている。
一方で、無償のボランティアは、身を削っている。
無償労働であり、寄付、奉仕である。
そうした善意に甘え、依存する、場当たり的な防災政策は無責任だ。
必要な労力は、確実に確保するべきで、予測のつかない自発的なボランティアの善意に頼るべきではない。
何の備えもない非常時であれば致し方ないが、非常時に備える防災政策としては、有償のボランティア、臨時雇用、といった、災害時のための予算を常に確保しておくべきだ。
追記
被災者の声ならいざ知らず、自治体がボランティアに来てほしい、と呼びかけるのに違和感があります。人手がいるなら、なぜ雇用しないのか?仕事として発注しないのか?仕事としてなら行ける人はいくらでもいることでしょう。仕事として従事する人と、身を削るボランティアとが混在しているのが現状ですが、公務員も含めてすべてが非常時だからボランティア、というのでないのなら、全てを有償とするべきではないでしょうか。
何の責任も問わず、むしろ本人のためになるような内容で、なおかつ誰かの役に立つといったボランティアであれば無償で構いませんが、行政がやらなければならないことを、無償のボランティアに頼るというのは、行政の責任放棄=無責任だと思います。個人が、経済力がなく、ボランティアをお願いする、というのを行政が仲介するといったことと、行政の公共としてやるべきことまでボランティア任せにしていること、とが混在しています。
2019年11月13日水曜日
無関心は恥
政治に関心がないことが、さも健全であるかに、どうどうと政治嫌いを公言する者がいるが、政治に関心がない=社会性がない、ということに他ならず、社会人として恥ずべきこと、だと私は思う。一方で、利己のために政治に擦り寄る者も多い。政治を私物化する者は、より醜い。
2019年11月10日日曜日
飼い馴らされた羊
政治に関心がない。
政治には関わりたくない。
という人が多い。
「政治」には、権力闘争や利権が絡んでおり、そうしたことに巻き込まれたくない、との思いは理解できる。
私も、そうした個人の欲望に関与したくない。むしろ、公共から私的な利己を排除したい。
人間同士の遣り取りには、感情や欲望が介在し、不合理なことが多々ある。それを理性によって、合理的、理想的な方に動かす力があるのも人間である。
民主主義社会であるからには、人間同士の折衝を経て物事は動いている。この人間同士の関わり合いが政治である。
これに関わることを避け、汚いことだと目を背け、決まったことにただ従っているだけであるのは、飼い馴らされた羊に等しい。
政治には関わりたくない。
という人が多い。
「政治」には、権力闘争や利権が絡んでおり、そうしたことに巻き込まれたくない、との思いは理解できる。
私も、そうした個人の欲望に関与したくない。むしろ、公共から私的な利己を排除したい。
人間同士の遣り取りには、感情や欲望が介在し、不合理なことが多々ある。それを理性によって、合理的、理想的な方に動かす力があるのも人間である。
民主主義社会であるからには、人間同士の折衝を経て物事は動いている。この人間同士の関わり合いが政治である。
これに関わることを避け、汚いことだと目を背け、決まったことにただ従っているだけであるのは、飼い馴らされた羊に等しい。
2019年11月8日金曜日
ジェンダーバイアス蔓延る日本社会
テレビなどを見ていても、男性アナウンサーはスーツであるのに、女性アナウンサーはラフな服装であることがほとんど。
大抵の場合、男のみスーツ着用、といった規定があるのである。
なぜこれには疑問を持たないのか?
以下は藤沢市議会における私の問題提起
https://www.facebook.com/nobu.sakai.9/posts/10218523238696738
職場でメガネ禁止される女性たち。「まるでマネキン」受け付けから看護師まで
大抵の場合、男のみスーツ着用、といった規定があるのである。
なぜこれには疑問を持たないのか?
以下は藤沢市議会における私の問題提起
https://www.facebook.com/nobu.sakai.9/posts/10218523238696738
少人数教育の必要性
インクルーシブ教育という教育運動もあるわけだが、多様な生徒が一同に会し、多人数で授業を受けるということが如何に難しいことか。
それを可能にするのは、教師と生徒の間の権力関係、主従関係だったに違いない。そうした旧来の暴力的な教室空間はようやくに改善されつつあり、教師の体罰が絶対悪だと徹底されるようになってきたのは望ましいことだが、コントロールするための力である権力関係がなくなれば、当然に抑制は効かなくなる。
本来、多様な個性に応じた教育をしようとするのであれば、一対一で対応できるくらいの密度が必要。集団活動の機会があることは好ましいが、すべてを多人数のクラス単位で一緒に教育しようということに無理がある。
必要としている学びも、成長のスピードも、それぞれ違う。多様な個性が狭い教室に押し込められ、画一的な振る舞いを強要され、反発する生徒が出てこない方がおかしい。それを教師一人で面倒みるという仕組み自体がどうかしている。
その子どもの可能性を最大限に育むためではなく、面倒な子育てを引き受けるためのシステムでしかない学校教育。本来的に、人間の尊厳を踏み躙っているのである。
一般の学校でも、特別支援学校と同程度の教職員配置を目指すべきだ。
教師の体罰をスマホ撮影する「告発動画」が相次ぐワケ
それを可能にするのは、教師と生徒の間の権力関係、主従関係だったに違いない。そうした旧来の暴力的な教室空間はようやくに改善されつつあり、教師の体罰が絶対悪だと徹底されるようになってきたのは望ましいことだが、コントロールするための力である権力関係がなくなれば、当然に抑制は効かなくなる。
本来、多様な個性に応じた教育をしようとするのであれば、一対一で対応できるくらいの密度が必要。集団活動の機会があることは好ましいが、すべてを多人数のクラス単位で一緒に教育しようということに無理がある。
必要としている学びも、成長のスピードも、それぞれ違う。多様な個性が狭い教室に押し込められ、画一的な振る舞いを強要され、反発する生徒が出てこない方がおかしい。それを教師一人で面倒みるという仕組み自体がどうかしている。
その子どもの可能性を最大限に育むためではなく、面倒な子育てを引き受けるためのシステムでしかない学校教育。本来的に、人間の尊厳を踏み躙っているのである。
一般の学校でも、特別支援学校と同程度の教職員配置を目指すべきだ。
教師の体罰をスマホ撮影する「告発動画」が相次ぐワケ
2019年11月7日木曜日
人間教育とは程遠い学校教育制度
そもそも大学教育で何を教育したいのか?
その目的は実現できているのか?
学問的教育も、職業的教育も、市民的教育も、文化的教育も、全て中途半端
そもそも大学は教育する場なのか、自ら学ぶ場なのか、探求する場なのか、、すべては学生次第・自分次第ではあるが、、大学側に多様なニーズに応えるための体制が備わっているわけでもない。
日本の大学は、社会に出る前のモラトリアム期間であるという価値が大部分。それを活かして自ら道を切り拓ければ意味はあるが、多くの場合、単に堕落する。
大学入試対策のためにそれまでの学校教育があるようなのは全くに愚かで、教育を放棄しているに等しく、その子どもの人生を棒に振るようなものだ。
残る選択肢は「センター試験」続行? 英語の次は国語……大学入試改革で起こるドミノ倒し
その目的は実現できているのか?
学問的教育も、職業的教育も、市民的教育も、文化的教育も、全て中途半端
そもそも大学は教育する場なのか、自ら学ぶ場なのか、探求する場なのか、、すべては学生次第・自分次第ではあるが、、大学側に多様なニーズに応えるための体制が備わっているわけでもない。
日本の大学は、社会に出る前のモラトリアム期間であるという価値が大部分。それを活かして自ら道を切り拓ければ意味はあるが、多くの場合、単に堕落する。
大学入試対策のためにそれまでの学校教育があるようなのは全くに愚かで、教育を放棄しているに等しく、その子どもの人生を棒に振るようなものだ。
残る選択肢は「センター試験」続行? 英語の次は国語……大学入試改革で起こるドミノ倒し
2019年11月4日月曜日
副反応疑いと子宮頸がんワクチンの因果関係
副反応疑いの症状は、年齢が高くなるほど自然発生率も高くなることから、自然発生時期とHPVワクチン接種の時期が重なり、さらに慣れない筋肉注射の印象が強いため、HPVワクチン接種の影響だと思い込んでいる可能性があるということだろうか?
約3万人(接種率約7割)を調査した名古屋スタディでは、副反応疑いの発生に関し、子宮頸がん(HPV)ワクチン接種の有無に有為差は認められなかったという。
https://ironna.jp/article/3583?p=1
すなわち、HPVワクチン接種をしなくとも、同様の症状は同程度に発生している。
しかし、以下の資料を見る限り、副反応疑いの発生頻度は他の予防接種に比べて高い。
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/VIS_04hukuhannou.yuugaijisyou.pdf
(掲載資料:2016年の厚生科学審議会部会資料)
HPVワクチン接種との因果関係が認められないのに、他の予防接種より発生頻度が高いというのはどういうことか?
名古屋スタディは対照研究で、審議会資料は接種した人のみに関する発生頻度。
HPVワクチン接種と他の予防接種との大きな違いは接種年齢と注射方法(HPVワクチンは筋肉注射だが、他は皮下注射が多い)。
接種スケジュール
https://www.know-vpd.jp/dl/schedule_age7.pdf
接種方法に関する論考
https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03162_02
約3万人(接種率約7割)を調査した名古屋スタディでは、副反応疑いの発生に関し、子宮頸がん(HPV)ワクチン接種の有無に有為差は認められなかったという。
https://ironna.jp/article/3583?p=1
すなわち、HPVワクチン接種をしなくとも、同様の症状は同程度に発生している。
しかし、以下の資料を見る限り、副反応疑いの発生頻度は他の予防接種に比べて高い。
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/VIS_04hukuhannou.yuugaijisyou.pdf
(掲載資料:2016年の厚生科学審議会部会資料)
HPVワクチン接種との因果関係が認められないのに、他の予防接種より発生頻度が高いというのはどういうことか?
名古屋スタディは対照研究で、審議会資料は接種した人のみに関する発生頻度。
HPVワクチン接種と他の予防接種との大きな違いは接種年齢と注射方法(HPVワクチンは筋肉注射だが、他は皮下注射が多い)。
接種スケジュール
https://www.know-vpd.jp/dl/schedule_age7.pdf
接種方法に関する論考
https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03162_02
2019年11月1日金曜日
人間社会の最大のリスクは人間
ドラマ『ホットゾーン』に関するメモ
・未知なウイルスはいくらでもある。
・ウイルスや細菌は常に変異する。
・未遭遇な病原に対する免疫は備わっていない。
・権力は社会秩序を理由に情報を隠蔽しかねない。
・権力機構の内にいる者は、権力を悪用して、自らに都合の悪い情報を隠せてしまう。
・人は衝動的にミスを隠そうとする。
・人は、自らの正常性バイアスを自覚できない。
・人間組織の最大のリスクはそこにいる人間の脆さ。これを踏まえたリスクマネジメントが必要。
・未知なウイルスはいくらでもある。
・ウイルスや細菌は常に変異する。
・未遭遇な病原に対する免疫は備わっていない。
・権力は社会秩序を理由に情報を隠蔽しかねない。
・権力機構の内にいる者は、権力を悪用して、自らに都合の悪い情報を隠せてしまう。
・人は衝動的にミスを隠そうとする。
・人は、自らの正常性バイアスを自覚できない。
・人間組織の最大のリスクはそこにいる人間の脆さ。これを踏まえたリスクマネジメントが必要。
2019年10月31日木曜日
公衆衛生としての子宮頸がんワクチンの必要性

現在、同ワクチンは定期接種となっているものの、副反応疑いとの因果関係が明確でないため、厚労省は「積極的な接種勧奨の差し控え」とし、「標準的接種年齢(中1相当)を迎える前に個別に通知」する程度で、他の定期接種ほどに積極的な呼びかけをしていない。(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou28/qa_hpv.html)
予防接種法の制度
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/iryo/kansen/yobousesshu.files/yobousesshu.seido.pdf
定期予防接種の内、インフル等のB類疾病以外のA類疾病はほとんど公費負担されているが、子宮頸がんワクチンは「積極的な接種勧奨の差し控え」とした2013年6月14日以降、接種率は激減し、現在0.3%程度。(http://www.jaog.or.jp/wp/wp-content/uploads/2019/07/20190723131726.pdf)
以下は私の考えです。
・すべての物質は、その性質が完全に解明されてはいない。解明し尽くすことは原理的に不可能。
・人類は、自然に抗することで寿命を延ばしてきた。
・自然に対して人為的に抗すること(すなわち文明)は自然ではない。調理して食べる行為は人間だけの不自然なこと。
・自然に抗うことで、自然で起きていること以上のことが起きるのは致し方ない。それを解明し尽くすことはできない。すべては対症療法。
・あらゆることにリスクは伴う。リスクのない人為的行為などない。
・リスクコントロール、リスクマネジメントが必要であり、これを自覚した上で物事を主体的に判断すれば後悔が減る。
・最後は人生観。
・公共政策としての公衆衛生は、できるだけ病気を減らすことが至上命題。
・子宮頸がんウイルスワクチンは、副反応リスクより癌予防効果が明らかに大きいのであれば、すべての国民に接種の機会を保障するべきであり、定期接種を止めるべきではない。
2019年10月30日水曜日
戦争犯罪は検証し処罰しなければ人間文明は崩壊する
当事者だけで全てが完結し、当事者が適切だと言い張ったところで、その正当性はどのようにして裁かれるのか?
シリア国内法が適用されるのか、戦時国際法によるのかはわからないが、戦時下だからといって何でもありな国際社会にしてはならない。
いかなる行為も全て、国内法や国際法に抵触していないかどうかを調査・検証し、裁くべきだ。
IS指導者遺体「適切に処理」=潜伏先で男2人拘束-米軍トップ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102900142&g=int&fbclid=IwAR0rld3ApebrDeWZI8PMFBFpM5v7p6sN6iB6Q6x4XjcoXV0M6vxMuG2v-HY
シリア国内法が適用されるのか、戦時国際法によるのかはわからないが、戦時下だからといって何でもありな国際社会にしてはならない。
いかなる行為も全て、国内法や国際法に抵触していないかどうかを調査・検証し、裁くべきだ。
IS指導者遺体「適切に処理」=潜伏先で男2人拘束-米軍トップ
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102900142&g=int&fbclid=IwAR0rld3ApebrDeWZI8PMFBFpM5v7p6sN6iB6Q6x4XjcoXV0M6vxMuG2v-HY
2019年10月28日月曜日
国民資産
日本の国民資産は1京893兆円!(2017年末)
負債:国富=約7:3(負債残高7509兆円、国富3383兆円)
「負債は、現金・預金が 83.8 兆円、持分・投資信託受益証券が 274.2 兆円増加したこと等により前年末に比べ増加」
2008年末の国民資産は8795兆円(負債残高5473兆円、国富3322兆円)
(2008年比)国富はほぼ横ばいだが、負債残高は約1.4倍!
国富=非金融資産+対外純資産
負債=金融資産-対外純資産
2019年7月発行「平成29年度国民経済計算年報」ストック及び国際比較
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h29/sankou/pdf/point_stock.pdf
負債:国富=約7:3(負債残高7509兆円、国富3383兆円)
「負債は、現金・預金が 83.8 兆円、持分・投資信託受益証券が 274.2 兆円増加したこと等により前年末に比べ増加」
2008年末の国民資産は8795兆円(負債残高5473兆円、国富3322兆円)
(2008年比)国富はほぼ横ばいだが、負債残高は約1.4倍!
国富=非金融資産+対外純資産
負債=金融資産-対外純資産
2019年7月発行「平成29年度国民経済計算年報」ストック及び国際比較
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/h29/sankou/pdf/point_stock.pdf
2019年10月18日金曜日
学校現場から権威主義を排せ
神戸教員間いじめ、性行為強要疑惑…加害者の教員ら、「ゲミュートローゼ」の可能性
https://biz-journal.jp/2019/10/post_123999.html
藤沢市の中学校でも、防球ネット事故再発防止策に関する追及を通し、主体性も自律性もなく、無責任で、平気で嘘をつく、およそ尊敬に値しない実態を多々垣間見た。
制服をはじめ、非教育的・差別的・不合理な校則や決まりを、何の疑問もなく放置してもいる。
教師に限ったことではなく、日本の労働市場では、同じ業界や組織に長く属すことが奨励されていることに大きな問題があるように思う。一度就職してしまうと、人間的な成長の機会が乏しく、組織の論理に染まり、社会性を失っていく。留学や長期ボランティアなど、研鑽を積む機会が保障されている企業は極めて少ない。
しかし、そもそも、自分自身の経験から言っても、教師だからといって、真に人間教育のできる教育者など、ほとんどいない。
教育者でない者が、教育者ぶって子どもに悪い影響を与え、成長を妨げる事例も多いのではないか?
教師が偉ぶる学校内の権威主義を排し、教科指導に徹する方が、少なくとも害にならないだけいいように思う。
本当に尊敬に値する人物であれば、権威主義を押し付けられなくとも良い影響を自然に得られるものだ。
https://biz-journal.jp/2019/10/post_123999.html
藤沢市の中学校でも、防球ネット事故再発防止策に関する追及を通し、主体性も自律性もなく、無責任で、平気で嘘をつく、およそ尊敬に値しない実態を多々垣間見た。
制服をはじめ、非教育的・差別的・不合理な校則や決まりを、何の疑問もなく放置してもいる。
教師に限ったことではなく、日本の労働市場では、同じ業界や組織に長く属すことが奨励されていることに大きな問題があるように思う。一度就職してしまうと、人間的な成長の機会が乏しく、組織の論理に染まり、社会性を失っていく。留学や長期ボランティアなど、研鑽を積む機会が保障されている企業は極めて少ない。
しかし、そもそも、自分自身の経験から言っても、教師だからといって、真に人間教育のできる教育者など、ほとんどいない。
教育者でない者が、教育者ぶって子どもに悪い影響を与え、成長を妨げる事例も多いのではないか?
教師が偉ぶる学校内の権威主義を排し、教科指導に徹する方が、少なくとも害にならないだけいいように思う。
本当に尊敬に値する人物であれば、権威主義を押し付けられなくとも良い影響を自然に得られるものだ。
2019年10月17日木曜日
独裁を望む悲哀

https://video.unext.jp/title/SID0037921?utm_source=facebook&utm_medium=social&utm_campaign=nonad-sns&fbclid=IwAR2DMNA6cbHmDAb1GDho_TxBzqKupLkXqT3DTFr7cuXSUt_cdiSL-FrjS2w
憎しみが渦巻いている。平和のためなら独裁の方がマシだと思ってしまうほどの絶望。
政治的な自由がなくとも、親族との平穏な日常を送ることさえできればいい、といった幸福観は、人類史の大部分において、圧倒多数の支配される側の人々にとっては、受け入れざるを得ない宿命だったに違いない。
世界人権宣言第1条には「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とある。これが国連で採択されたのは1948年。破滅的な世界戦争を経て行き着いた境地であり、現代の国際社会が依拠する基本原則である。しかし、置かれた国家や社会に拠らず、個人の権利や尊厳は人類共通の普遍的・先天的な原則であり、それを守ることこそが正義だ、とはたして言い切れるのだろうか?
そこには、自由や平等が保障されることが幸福だ、という幸福観が前提となっているが、不自由や不平等、束縛や支配されていることを望む幸福観もある。とりわけ宗教的な意味において。
しかし、例え支配されることを主体的に選択したとしても、一度支配されてしまえば抜け出す自由を行使することは容易でない。
個人の自由や平等を保障しなければならない義務を負っているのは国家権力である。あくまで、個人の生き方は個人の自由だが、国家権力が個人の自由を奪ってはならない、ということである。
このことからすると、社会主義国やイスラム国家、独裁国家は、すべて世界人権宣言に違反しているということになる。(立憲君主制も違反だろう。)
だが、世界人権宣言に違反していることを理由に、他国が軍事介入する権利などない。あくまで軍事介入は当事国からの要請に基づくべきだし、戦争は自衛のための緊急避難以外は許されない。
イラク戦争の大義は、あくまで自衛のための大量破壊兵器の武装解除だったが、大量破壊兵器は出てこず、フセインを逮捕し処刑した罪は国内の大量虐殺に関する人道に対する罪によるものだった。
イラク戦争の正当性は国際司法裁判所などで裁かれるべきだがなされていない。
独裁政権を崩壊させたからには、同国の統治体制が整うまで支援するのは国際社会の責務であるが、武装勢力の掃討、武装解除すらままならない。
それでも、制度上は民主化された。あくまで、これからどのような国家を目指すのか、決めるのはイラク国民である。
2019年10月15日火曜日
自衛隊の災害派遣拡充を
自衛隊の災害派遣をもっと活用するべきではないか。
現時点では、人命救助活動や給水支援、入浴支援しかしていない。
https://www.mod.go.jp/…/de…/saigai/2019/typhoon19/index.html
河川決壊の災害復興などは専門ではないか。個人宅の片付け支援(泥の掻き出しなど)にしても、ボランティアだのみではなく、自衛隊を活用するべきだ。
海外のPKOでは道路補修や軽易な施設建設等行っているのに、国内の災害派遣では見たことがない。
これは、派遣基準の3要件、公共性、緊急性、非代替性の内、特に非代替性「他の機関では対処不能か能力が十分でなく自衛隊で対処する必要性があること」に照らして、国内では民間事業者でも対処が可能だという判断がなされていると思われる。
しかし、民間事業者も行政も、非常時のための体制など大して備えられない。突然舞い込む災害対応は通常業務を犠牲にせざるを得ない。
自衛隊は軍事のための組織であり、常に有事に備えて体制を維持するのが本務であるが、災害は国内有事。
せっかく有事のために備えている自衛隊を最大限活用できるよう、特別措置法を設けるなど、こうした大規模災害には柔軟に対応するべきだ。
【日刊SPA!】災害派遣の自衛隊員、免許があっても重機を使うのはNG!? 足かせとなる陸上自衛隊の制度 https://nikkan-spa.jp/1499004/2
現時点では、人命救助活動や給水支援、入浴支援しかしていない。
https://www.mod.go.jp/…/de…/saigai/2019/typhoon19/index.html
河川決壊の災害復興などは専門ではないか。個人宅の片付け支援(泥の掻き出しなど)にしても、ボランティアだのみではなく、自衛隊を活用するべきだ。
海外のPKOでは道路補修や軽易な施設建設等行っているのに、国内の災害派遣では見たことがない。
これは、派遣基準の3要件、公共性、緊急性、非代替性の内、特に非代替性「他の機関では対処不能か能力が十分でなく自衛隊で対処する必要性があること」に照らして、国内では民間事業者でも対処が可能だという判断がなされていると思われる。
しかし、民間事業者も行政も、非常時のための体制など大して備えられない。突然舞い込む災害対応は通常業務を犠牲にせざるを得ない。
自衛隊は軍事のための組織であり、常に有事に備えて体制を維持するのが本務であるが、災害は国内有事。
せっかく有事のために備えている自衛隊を最大限活用できるよう、特別措置法を設けるなど、こうした大規模災害には柔軟に対応するべきだ。
【日刊SPA!】災害派遣の自衛隊員、免許があっても重機を使うのはNG!? 足かせとなる陸上自衛隊の制度 https://nikkan-spa.jp/1499004/2
議会の力を発揮せよ
参院予算委、台風19号の追加審議決定 自民延期に応じず - 毎日新聞
政府与党の自己都合で延期に応じなかったのだとしても、延期するべきだった、という主張で時間を使うことこそが時間の無駄。議事運営について言う場は議院運営委員会などいくらでもある。
むしろ、非常時だからこそ、不足や欠点を明らかにし、即応的に問題解決するために議会を活用するべきだ。
議会の可能性を、議員自らが過小評価するのはいかがなものか。
結局、大して、指摘、提案することがないから、こういう無駄な政争発言が出てくるのである。
2019年10月14日月曜日
習志野市の違反率は悪化
谷岡隆習志野市議会議員のブログによると、
https://bootsman.exblog.jp/30486721/
「民間建築物の防火管理者の選任・消防計画の届出の状況について質問したところ、驚いたことに、2018年度中に届出義務があった18件のうち、期限内に届出されたのは2件だけでした。現在も無届け(違法状態)の建築物もありました。」とのこと。
昨年度の違反率は約89%。昨年8月の当方からの問い合わせで、供用時の防火管理義務違反に関する認識は得られたはずなのに、一昨年度の約67%から悪化しています。防火意識が麻痺しているとしか思えません。本来やらなければならない防火管理業務を怠ったことに対する減給処分など、責任を明らかにし、そういう意識が欠如している職員は責任ある職位・職場から降格・異動させるなどするべきです。
藤沢市もそうですが、市民の命を守るべき消防行政のこの体たらくに対し、ぞんざいに扱われている市民の側は怒るべきですが、そうした声が大して上がらないのは、街全体が病んでいる、目先の事ばかりで自暴自棄になっている、ということかも知れません。
「民間建築物の防火管理者の選任・消防計画の届出の状況について質問したところ、驚いたことに、2018年度中に届出義務があった18件のうち、期限内に届出されたのは2件だけでした。現在も無届け(違法状態)の建築物もありました。」とのこと。
昨年度の違反率は約89%。昨年8月の当方からの問い合わせで、供用時の防火管理義務違反に関する認識は得られたはずなのに、一昨年度の約67%から悪化しています。防火意識が麻痺しているとしか思えません。本来やらなければならない防火管理業務を怠ったことに対する減給処分など、責任を明らかにし、そういう意識が欠如している職員は責任ある職位・職場から降格・異動させるなどするべきです。
藤沢市もそうですが、市民の命を守るべき消防行政のこの体たらくに対し、ぞんざいに扱われている市民の側は怒るべきですが、そうした声が大して上がらないのは、街全体が病んでいる、目先の事ばかりで自暴自棄になっている、ということかも知れません。
災害のない強靭な街づくり、などできるはずはなく、そうして自然に抗うのは無謀ですが、被害を最小化できるかどうかは、日頃の備えが重要ですね。台風のような、備えることのできる災害で、死者が出るなどというのは、明らかに自治体行政の失態です。
2019年10月10日木曜日
習志野市の防火管理義務違反
習志野市は、昨年8月の藤沢市議会事務局を通じた調査に対し、消防計画の作成が遅れた理由は「新庁舎に対応した新たな消防計画の作成に日数がかかったため」と答えていました。また、2017年度の新たな防火管理義務発生建物に関しては、30件中20件が消防計画の提出遅延だったとも回答しています。違反率は66.7%。
・新庁舎以外の公共施設でも、消防計画の作成遅延等、防火管理義務違反が横行していないか?
・いつからこうした防火管理義務違反を容認するような風潮となってしまったのか?
・誰がどのように責任をとるのか?(業務を怠り、市民の信頼を裏切った担当者・責任者の処分は当然なされるべきです。が、藤沢市では誰一人処分されていないのは、自浄能力のなさを物語っており、情けない限りです。)
・どのようにして再発を防止するのか?
各自治体議会で徹底追及がなされ、行政が正常な市民感覚を取り戻し、何よりも命を優先する安全な街が増えることを願うばかりです。
谷岡隆習志野市議会議員ブログ
https://bootsman.exblog.jp/30474350/?fbclid=IwAR1Cr3VguXTdd377jiQ3rAS2QYLpvpF3uIElw4mEAcPaPgdXipWDNP_Gx4U
・いつからこうした防火管理義務違反を容認するような風潮となってしまったのか?
・誰がどのように責任をとるのか?(業務を怠り、市民の信頼を裏切った担当者・責任者の処分は当然なされるべきです。が、藤沢市では誰一人処分されていないのは、自浄能力のなさを物語っており、情けない限りです。)
・どのようにして再発を防止するのか?
各自治体議会で徹底追及がなされ、行政が正常な市民感覚を取り戻し、何よりも命を優先する安全な街が増えることを願うばかりです。
谷岡隆習志野市議会議員ブログ
https://bootsman.exblog.jp/30474350/?fbclid=IwAR1Cr3VguXTdd377jiQ3rAS2QYLpvpF3uIElw4mEAcPaPgdXipWDNP_Gx4U
2019年10月9日水曜日
2019年10月8日火曜日
飽食に伴う犠牲を意識せよ
飽食が許される時代であればこそ、犠牲に対して向き合い、犠牲を払うだけの価値があるのかを自問すべきである
それが犠牲に対するせめてもの償い、だとの思いすら共有できなエゴイストが多いのも現実
欲望に駆られた破滅への道を、如何に理性によって食い止めるか
それが犠牲に対するせめてもの償い、だとの思いすら共有できなエゴイストが多いのも現実
欲望に駆られた破滅への道を、如何に理性によって食い止めるか
2019年10月7日月曜日
香港独立の現実味
http://chng.it/Hc8x227zrL
民主主義体制でないからに、民主主義的な場での話し合いが期待できない。
そもそも香港警察は、民主主義や市民社会を守るためではなく、権力を守るために存在している。
独裁体制を維持しようとする権力側に民主化を求めたところで、折り合いがつくはずがない。
独自の政府を樹立し独立する以外に道はないように思われる。
仕事上の立場として、致し方なく警察側に身を置いている人々も少なくないだろう。良心の呵責から、市民社会を守るという本来の使命に目覚め、クーデターに発展するのも時間の問題ではなかろうか。
民主主義体制でないからに、民主主義的な場での話し合いが期待できない。
そもそも香港警察は、民主主義や市民社会を守るためではなく、権力を守るために存在している。
独裁体制を維持しようとする権力側に民主化を求めたところで、折り合いがつくはずがない。
独自の政府を樹立し独立する以外に道はないように思われる。
仕事上の立場として、致し方なく警察側に身を置いている人々も少なくないだろう。良心の呵責から、市民社会を守るという本来の使命に目覚め、クーデターに発展するのも時間の問題ではなかろうか。
2019年9月27日金曜日
利己は恥ずべきこと
グレタさんはまさに根性論(本気度)を説いている。それが幼稚と言えるのか?私の感覚では、わがままな子どもが自律心(理性)を身に着け大人になる、というのが人間の発達のイメージだが、現代社会では、成人以降、自律心が退行し、これが逆転(大人が子供化)しているように思われる。
現代社会の、自分本位で利己的な、欲に溺れた、無責任なやり逃げ、に対する怒りに、至極共感!
個人がプライベイトで利己を優先するのは致し方ないが、社会的営みにおいても利己が罷り通り、社会自体が社会性・理性を失い利己的になっている。
そもそも、CO2が温暖化の原因であるなし以前の問題として、資源を使い果たす勢いで使いまくってもいい、という権利があるのか?
手に入れたものは、自由に使う権利がある、という私的所有の概念に問題があると思われる。
元々、すべての物質には所有者などいない。それを私物化し、所有権を認めるのが、私有財産制度。
単に所有しているだけではなく、それを消費すれば、その個人の行為の影響は個人の範疇には収まらない。
使ってもまた産出することができる物はまだしも、循環しない行為は、将来世代を含む人類全体に影響が及ぶ。
資源や自然環境を人類共有の財産と位置付け、管理し、その私物化を公的に制限する仕組みをもっと強化しなくてはならい。
利己的な経済活動を抑制する必要がある。
自由競争を用いた社会の発展モデルから転換する必要に迫られている。
少なくとも、分かち合い、無駄な消費をなくす、合理的な社会へ転換するべきだ。
現代社会の、自分本位で利己的な、欲に溺れた、無責任なやり逃げ、に対する怒りに、至極共感!
個人がプライベイトで利己を優先するのは致し方ないが、社会的営みにおいても利己が罷り通り、社会自体が社会性・理性を失い利己的になっている。
そもそも、CO2が温暖化の原因であるなし以前の問題として、資源を使い果たす勢いで使いまくってもいい、という権利があるのか?
手に入れたものは、自由に使う権利がある、という私的所有の概念に問題があると思われる。
元々、すべての物質には所有者などいない。それを私物化し、所有権を認めるのが、私有財産制度。
単に所有しているだけではなく、それを消費すれば、その個人の行為の影響は個人の範疇には収まらない。
使ってもまた産出することができる物はまだしも、循環しない行為は、将来世代を含む人類全体に影響が及ぶ。
資源や自然環境を人類共有の財産と位置付け、管理し、その私物化を公的に制限する仕組みをもっと強化しなくてはならい。
利己的な経済活動を抑制する必要がある。
自由競争を用いた社会の発展モデルから転換する必要に迫られている。
少なくとも、分かち合い、無駄な消費をなくす、合理的な社会へ転換するべきだ。
グレタさんが主張していることは、将来にツケを回すような無責任を改めよ!ということだと思います。問題を孕んでいるのに、その解決をしないまま実用化していることが多すぎます。グレタさんが原発を容認しているとは思えません。
まず、電力依存をどこまで減らせるのかを考えた方がいいかと思います。電力消費量も物の消費もかなり個人差があります。なければないなりに済むものを、消費が推奨されている経済構造であるゆえ、無駄な浪費がかなりあると思います。
例えば、10年前のことではありますが、ウズベキスタンの地方都市では、毎日計画停電があり、通電しているのは一日の半分程度でした。ガスは比較的止まりませんでしたが、水道も同じでした。それでも、人々はそれを前提に生活していました。
次世代のエネルギーを考える必要はありますし、いろいろな研究がなされていますが、何より、そうして頑張って無理して作っている電力を、本当に必要なことにだけ使っているのか?
一人当たりの電力消費をここまで抑える、といった明確な目標を立て(クールビズ程度の気休めではなく)、それにあった社会づくりをしていくべきではないかと思います。
まず、電力依存をどこまで減らせるのかを考えた方がいいかと思います。電力消費量も物の消費もかなり個人差があります。なければないなりに済むものを、消費が推奨されている経済構造であるゆえ、無駄な浪費がかなりあると思います。
例えば、10年前のことではありますが、ウズベキスタンの地方都市では、毎日計画停電があり、通電しているのは一日の半分程度でした。ガスは比較的止まりませんでしたが、水道も同じでした。それでも、人々はそれを前提に生活していました。
次世代のエネルギーを考える必要はありますし、いろいろな研究がなされていますが、何より、そうして頑張って無理して作っている電力を、本当に必要なことにだけ使っているのか?
一人当たりの電力消費をここまで抑える、といった明確な目標を立て(クールビズ程度の気休めではなく)、それにあった社会づくりをしていくべきではないかと思います。
2019年9月22日日曜日
情報提供のお願い
情報提供のお願い
皆様の身近に、供用開始までに消防計画を作成・届出していなかった公共施設がありましたら、ぜひお教えください。
皆様の身近に、供用開始までに消防計画を作成・届出していなかった公共施設がありましたら、ぜひお教えください。
調査依頼もたまわります。
自治体によって所管部署名は違いますが、総合窓口に電話し「庁舎管理の担当をお願いします」と言うと、管財課等に繋いでくれます。そこで対象庁舎に関し、「供用開始日と消防計画の提出日を知りたいので教えて下さい」と言えば、基本的に隠すような情報ではないので、回答があるはずです。
2019年9月21日土曜日
神奈川県内19市の防火管理義務違反割合
2017年度の神奈川県内19市、公共含む新規義務発生建物における防火管理義務違反割合です。
本文中では触れましたが、誌面スペースの関係で一覧表は掲載できなかったのでお知らせしておきます。
下にいくほど違反率が高くなっています。
横浜市、川崎市、相模原市は義務発生日の把握すらなく、話になりません。
本文中では触れましたが、誌面スペースの関係で一覧表は掲載できなかったのでお知らせしておきます。
下にいくほど違反率が高くなっています。
横浜市、川崎市、相模原市は義務発生日の把握すらなく、話になりません。
2019年9月20日金曜日
自治体庁舎の防火管理義務違反事例
週刊金曜日9月20日号に掲載いただいた、2016年4月から2018年5月までに新庁舎を供用開始した自治体28市の同庁舎の消防計画作成・届出遅延日数一覧です。
最近の事例として、本年4月20日に新庁舎をオープンした広島県三原市が同庁舎の消防計画を9月13日時点で未作成状態にあることにも触れましたが、他に本年供用開始(いずれも2019年1月4日オープン)した自治体について、たまたま落成を知って問い合わせた自治体に関して分かったことをお知らせしておきます。
茨城県水戸市:2018年12月25日提出。遅延なし。
福岡県筑紫野市:2019年1月28日提出。24日遅延。
茨城県石岡市:2019年1月31日提出。27日遅延。
最近の事例として、本年4月20日に新庁舎をオープンした広島県三原市が同庁舎の消防計画を9月13日時点で未作成状態にあることにも触れましたが、他に本年供用開始(いずれも2019年1月4日オープン)した自治体について、たまたま落成を知って問い合わせた自治体に関して分かったことをお知らせしておきます。
茨城県水戸市:2018年12月25日提出。遅延なし。
福岡県筑紫野市:2019年1月28日提出。24日遅延。
茨城県石岡市:2019年1月31日提出。27日遅延。
2019年9月18日水曜日
教育理念なき校則指導
私立学校が独自の教育を行うのは、ある程度の裁量が認められると思いますが、当然、人権侵害や違法性があってはいけませんし、教育上、学校としての考えを生徒が納得できるように説明するべきです。(奴隷教育などであってはなりません。)
どのような理由で性差別が正当化できるのか?
就職、進学等の進路に向けて、なぜ学生らしい清楚な容姿を継続できるように常日頃から心掛けることが必要なのか?
TPOをわきまえるということが必要なだけで、画一的な学生らしさを押し付けられるいわれはない。
学生らしいとか、高校生らしいとか、男子だからとか、女子生徒にふさわしいとか、そういう理由にならない理由をもっともらしく言うところが教育的ではないし、愚かしい。
単に、校風づくりのために協力してほしい、と理解を求めればいいのである。協力を得るためにはそれなりの合理的説明が必要でしょうが。
どのような理由で性差別が正当化できるのか?
就職、進学等の進路に向けて、なぜ学生らしい清楚な容姿を継続できるように常日頃から心掛けることが必要なのか?
TPOをわきまえるということが必要なだけで、画一的な学生らしさを押し付けられるいわれはない。
学生らしいとか、高校生らしいとか、男子だからとか、女子生徒にふさわしいとか、そういう理由にならない理由をもっともらしく言うところが教育的ではないし、愚かしい。
単に、校風づくりのために協力してほしい、と理解を求めればいいのである。協力を得るためにはそれなりの合理的説明が必要でしょうが。
【生徒の髪型差別にNO】自然学園高等学校の人種・性差別的校則の撤廃を!
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感染症対策の基本
クラスター対策はするべきだし、PCR検査も積極的にするべきだった。 そして、陽性者と陽性者との濃厚接触者は全て隔離(自宅、宿泊施設、病院に振り分ける)し、隔離施設内でも陽性者間で偽陽性者に感染拡大しないように個別に管理する。 陰性でも症状があれば隔離対象にする(偽陰性の可能性...