2019年11月27日水曜日

公共の私物化と差別

 そもそも、なぜ功績・功労のあった人を、税金を使って労う必要があるのか?
 労われて嫌な人は少ないだろうが、大概、本質的に功績・功労をなす人々は、労われることを目的に取り組んではいないだろう。
 埋もれている功績・功労を評価し、表彰することには、その価値を社会全体で共有するといった意味もある。
 しかし、評価されていない数多の功績・功労のある人々をよそ目に、一部の恵まれた評価されている人たちだけを特別扱いするのは不公平であるし、そもそも、功績・功労のある人と、そうした評価をされていない人とを分けて処遇することは、差別に他ならない。
 実際には、有名人を式典に呼んだり、宴席に招待したりするのは、労うだとか恩着せがましいことを言っているが、主催側の本心は、イベントの格付けや権威付け、お飾り、といった意味合いの方が大きいに違いない。要は、利用されているわけだが、そうして盛り上げるべき価値のあるイベントであるのなら構わないが、どうでもいい会に功績・功労のあるような人々の貴重な時間を浪費するのは公益に反しているし、失礼だ。それを誤魔化すために、贅を尽くして歓待するわけだが、私的なイベントであるならまだしも、税金を使ってやることではない。

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