2019年5月31日金曜日

罪深き学校教育

日本の学校教育は、多様性をなくし、人間を規格化することを目的としているように思えてならない
多様な可能性を削ぎ落し、均一な規格に当てはめようとする
理解する力、考える力をつけるのではなく、分かった気になる、深く考えない、ように仕向けていく
能動的な経営者ではなく、従属する労働者を大量生産しているような
疑問を持たず、言われたままに、反抗することなく、器用に仕事をこなす、生産性の高い労働者
ただ効率よく無難に未成年期をやり過ごすための学校教育によって、人間の尊厳、人間性が奪われていく
本気で一人一人に寄り添い、その個性を最大限に伸ばそう、だなんて観点は毛頭ないのである
そもそも学校教育に過大な期待をし過ぎなのだろう
どうせ大した理念もないのであれば、学校教育は最低限でいい
学校教育は、できる限り悪影響しないようにだけ心掛けてもらい、子どもが多様な志向で主体的にいろいろなことを学べる環境を、学校教育に囚われずに作っていくといいのではなかろうか

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