2019年11月30日土曜日

時代錯誤の議会史編さん

1億7千万円も費やすのであれば、研究助成をするなどして自由に藤沢市議会を研究してもらう方が余程生産的です。(執筆者や印刷会社との癒着でもあるのだろうか?)

 以下で前回約30年前に編纂された藤沢市議会史を読むことができます。http://fujisawagikai.sakura.ne.jp/201909gikai/720920190900.pdf
 大層な装丁ですが、内容は表面的で情報の羅列に過ぎません。
 議会運営委員会の会議資料には、「議会活動・住民運動等を客観的に記述し後世に遺すべく・・・編さんされてきた」とあります。
 しかし、社会は益々多様化、情報化しており、収集可能な資料の量は桁違いであると思われます。はたしてどのようにして編さんするというのでしょうか?担当者の視座に偏るのは必然で、そうした偏った見方で網羅しただけの読み物など誰が読むのでしょうか?何の役に立つのでしょうか?そんなものに価値があるのでしょうか?

編さん事業中止を求める賛同署名にご協力ください。

2019年11月27日水曜日

議会史編さん中止署名

藤沢市議会の暴走を止めるための賛同署名を始めました。
賛同署名
先の9月議会の議会運営委員会で、前回の議会史編纂から30年が経過したことを理由に、また新しく編纂事業を行うことが、市民のまったく知らないうちに決められてしまいました。(9月12日議会運営委員会の議事録参照)
4年間で約1億7千万円もの税金を費やす一大事業で、来年の2月定例会で予算計上する見込みです。
昨日、市民から中止を求める議会陳情が出されました。(12月12日の議会運営委員会で議決されます。)

以下が陳情理由です。
①議事録はインターネットで検索可能であるし、市史に関しては市史編纂室(文書館)が多種多様な刊行物を出版しており、代替可能である。
②約1億7千万円もの予算に見合った必要性が感じられない。パブリックコメントや市民アンケートなどを実施し、市民理解が得られるのか、既刊の議会史がどれほどの役に立っているのか、等を検証してから本事業の必要性を検討するべきである。市民を無視して議会が暴走しているとしか思えない。
③市政の課題は逼迫しており、議員の仕事は山積しているはずだ。このような税金の無駄遣いに議会の費用や時間を浪費するべきではない。

ぜひ賛同のほどお願いいたします。

公共の私物化と差別

 そもそも、なぜ功績・功労のあった人を、税金を使って労う必要があるのか?
 労われて嫌な人は少ないだろうが、大概、本質的に功績・功労をなす人々は、労われることを目的に取り組んではいないだろう。
 埋もれている功績・功労を評価し、表彰することには、その価値を社会全体で共有するといった意味もある。
 しかし、評価されていない数多の功績・功労のある人々をよそ目に、一部の恵まれた評価されている人たちだけを特別扱いするのは不公平であるし、そもそも、功績・功労のある人と、そうした評価をされていない人とを分けて処遇することは、差別に他ならない。
 実際には、有名人を式典に呼んだり、宴席に招待したりするのは、労うだとか恩着せがましいことを言っているが、主催側の本心は、イベントの格付けや権威付け、お飾り、といった意味合いの方が大きいに違いない。要は、利用されているわけだが、そうして盛り上げるべき価値のあるイベントであるのなら構わないが、どうでもいい会に功績・功労のあるような人々の貴重な時間を浪費するのは公益に反しているし、失礼だ。それを誤魔化すために、贅を尽くして歓待するわけだが、私的なイベントであるならまだしも、税金を使ってやることではない。

2019年11月26日火曜日

犯罪者は弱者ではない

少なくとも、被害者のいる、悪意・身勝手な加害犯罪者は弱者ではない。
(詐欺・窃盗・暴行・・・)
悪意・身勝手な加害犯罪者は罪を償うべきで、相応の制裁を受けさせるべきだ。
ルールから逸脱した存在は、ルールに縛られ、ルール下で制裁を受ける立場であるという意味では、弱者であるに違いない。
ルールが間違っている場合もある。
どんな罪でも社会的要因が皆無であるなどということはない。
しかし、とりわけ、被害者に対しては、暴力的な強者であったのである。
人間には主体的な意思・判断力がある(と私は思っている)。
被害を繰り返さないためにも、主体的な意思に基づく加害犯罪者には、罪に対する代償を払わせ、矯正、もしくは懲らしめ、再犯を防止、犯罪を抑止しなくてはならない。

2019年11月21日木曜日

リスクマネジメントと科学主義

子宮頸がんワクチンの積極勧奨をするべきだ、との主張と、副反応疑いとの因果関係が払拭できないのであるから定期接種も中止せよ、との両極の主張がぶつかっている。
現状は、定期接種となってはいるが、積極勧奨はされていない。
藤沢市議会などは、2017年6月議会で、被害者団体からの中止を求める陳情を賛成多数で可決し、国に対して意見書を出している。議会の判断は、市の対応にも影響する。
私は、少なくとも、誰もが任意に無料で受けられる定期接種であることは維持するべきだと主張し、反対した。しかし、公共の公衆衛生施策としては、接種率を上げなくては意味がない。
名古屋スタディ等でワクチン接種と副反応疑いの因果関係が認められなかったことからすると、接種時期と副反応疑いと同様の症例が自然発生する時期とが被ることで、因果関係があるように錯覚している可能性が考えられる。ならば、接種時期を接種可能な9歳まで引き下げることも検討するべきではないか。
また、以下のようなサイトで懸念されているワクチンの成分や設計についても、より安全なものとなるよう、不安が払しょくできるよう、常に改良、リスクの低減に努めるべきだ。
http://vaccine.luna-organic.org/?page_id=20
リスクのない科学技術など存在しないのだから、予防効果が明らかで、副作用のリスクより病気で死ぬリスクの方がはるかに大きいのであれば、みすみす死を選ぶよりは接種するべきだ、とも思えるが、死に繋がるウイルス感染は予防できても、一方で、生活の質や生殖・遺伝に悪影響があるのであれば、死ぬよりマシだろ、と言えるほど単純な問題ではない。
原理的に、悪影響のあるなしを全て把握しきれはしないのだから、常に科学を過信してはならない。

2019年11月20日水曜日

香港の人道危機


これが事実であるのなら、香港はまさに人道危機に瀕している
国家犯罪に等しく、国民の命を脅かすような国家は、国家としての資格はなく、国家として破綻している
民主主義概念のない中国に民主化を求めたところで叶いはしない
一刻も早く、香港人の民族自決、分離独立を実現するべく、国際社会は手を差し伸べるべきだ

2019年11月18日月曜日

桜を見る会の前夜祭の謎


 後援会への入出金がなく、明細がないとしても、ホテルとの契約書はあるだろう。参加者への供応、ホテルとの癒着など、これだけ疑義が持たれているのだから、契約書など関係書類を公表するべきだ。
 そもそも、イベントを開催する際に主催者に何の収支も生じないなどということがありうるだろうか?
 イベント会社などに収支も含めて全てを丸投げするということはあり得なくはない。その際、もし黒字となった場合には、その分を依頼者に戻すか、依頼者からの報酬といった形で仕訳なければ、単に運営を依頼されたというに留まらず、イベント会社の収益事業となってしまう。
 イベント会社が儲かるようにインセンティブを与える契約があってもいい。しかし、民間同士であるなら問題ないだろうがが、政治団体や公共団体であれば話は別だ。(これら団体は収益を目的としていないため法人税が課されない。)政治団体や公共事業を利用して、運営を委託された事業者が委託費などの決められた対価とは別に収益を懐に入れるなど許されない。(が、結構こうした公私混同が至る所にある。)
 安部後援会の「桜を見る会の前夜祭」場合、運営をホテルに丸投げし、ホテルがホテルの事業として参加者から料金を徴収しているような説明がなされている。
 一般的には、会場費を後援会が払うという形か、運営を委託していたとすれば、参加費は後援会の収入とした上で、委託費を後援会が払う形とするべきで、ホテルの事業の形として、後援会との間で金銭のやり取りがない、などということなのであればやはり問題だろう。民間事業者が政治団体と結託し、政治活動を利用して儲けているということになる。
 後援会のイベントであるのだから、後援会が参加費を徴収しない、後援会が会場費等を支出しないというのは、かなり異様だ。

酒井信孝 公職選挙法違反の裏づけのある告発状が出されれば受理せざるを得ないでしょうが、なかなか裏付けを得られないため、国政調査権でホテルオークラの支配人を国会に呼んで証人喚問したらいいかと思います。
しかし、多くの政治家は、わが身にも降りかかってくるのでなかなか徹底追及できないのだと思われます。だから共産党が先陣切って闘っているのですね。

酒井信孝 日本社会には、よくよく考えるとおかしなことが溢れていますね。これまでの自浄能力がなかったことを嘆いてもしょうがないので、これから自浄能力を発揮していかなくてはなりません。

2019年11月14日木曜日

ボランティア頼み防災政策の無責任

ボランティア精神は尊い。
しかし、無償ボランティアを前提にした公共政策は間違っている。
公務員もNPOの有給スタッフも、仕事として報酬を得ている。
一方で、無償のボランティアは、身を削っている。
無償労働であり、寄付、奉仕である。
そうした善意に甘え、依存する、場当たり的な防災政策は無責任だ。
必要な労力は、確実に確保するべきで、予測のつかない自発的なボランティアの善意に頼るべきではない。
何の備えもない非常時であれば致し方ないが、非常時に備える防災政策としては、有償のボランティア、臨時雇用、といった、災害時のための予算を常に確保しておくべきだ。


追記
被災者の声ならいざ知らず、自治体がボランティアに来てほしい、と呼びかけるのに違和感があります。人手がいるなら、なぜ雇用しないのか?仕事として発注しないのか?仕事としてなら行ける人はいくらでもいることでしょう。仕事として従事する人と、身を削るボランティアとが混在しているのが現状ですが、公務員も含めてすべてが非常時だからボランティア、というのでないのなら、全てを有償とするべきではないでしょうか。

何の責任も問わず、むしろ本人のためになるような内容で、なおかつ誰かの役に立つといったボランティアであれば無償で構いませんが、行政がやらなければならないことを、無償のボランティアに頼るというのは、行政の責任放棄=無責任だと思います。個人が、経済力がなく、ボランティアをお願いする、というのを行政が仲介するといったことと、行政の公共としてやるべきことまでボランティア任せにしていること、とが混在しています。

2019年11月13日水曜日

無関心は恥

政治に関心がないことが、さも健全であるかに、どうどうと政治嫌いを公言する者がいるが、政治に関心がない=社会性がない、ということに他ならず、社会人として恥ずべきこと、だと私は思う。一方で、利己のために政治に擦り寄る者も多い。政治を私物化する者は、より醜い。

2019年11月10日日曜日

飼い馴らされた羊

政治に関心がない。
政治には関わりたくない。
という人が多い。
「政治」には、権力闘争や利権が絡んでおり、そうしたことに巻き込まれたくない、との思いは理解できる。
 私も、そうした個人の欲望に関与したくない。むしろ、公共から私的な利己を排除したい。
 人間同士の遣り取りには、感情や欲望が介在し、不合理なことが多々ある。それを理性によって、合理的、理想的な方に動かす力があるのも人間である。
 民主主義社会であるからには、人間同士の折衝を経て物事は動いている。この人間同士の関わり合いが政治である。
 これに関わることを避け、汚いことだと目を背け、決まったことにただ従っているだけであるのは、飼い馴らされた羊に等しい。

2019年11月8日金曜日

ジェンダーバイアス蔓延る日本社会

テレビなどを見ていても、男性アナウンサーはスーツであるのに、女性アナウンサーはラフな服装であることがほとんど。
大抵の場合、男のみスーツ着用、といった規定があるのである。
なぜこれには疑問を持たないのか?

以下は藤沢市議会における私の問題提起
https://www.facebook.com/nobu.sakai.9/posts/10218523238696738


職場でメガネ禁止される女性たち。「まるでマネキン」受け付けから看護師まで

少人数教育の必要性

 インクルーシブ教育という教育運動もあるわけだが、多様な生徒が一同に会し、多人数で授業を受けるということが如何に難しいことか。
 それを可能にするのは、教師と生徒の間の権力関係、主従関係だったに違いない。そうした旧来の暴力的な教室空間はようやくに改善されつつあり、教師の体罰が絶対悪だと徹底されるようになってきたのは望ましいことだが、コントロールするための力である権力関係がなくなれば、当然に抑制は効かなくなる。
 本来、多様な個性に応じた教育をしようとするのであれば、一対一で対応できるくらいの密度が必要。集団活動の機会があることは好ましいが、すべてを多人数のクラス単位で一緒に教育しようということに無理がある。
 必要としている学びも、成長のスピードも、それぞれ違う。多様な個性が狭い教室に押し込められ、画一的な振る舞いを強要され、反発する生徒が出てこない方がおかしい。それを教師一人で面倒みるという仕組み自体がどうかしている。
 その子どもの可能性を最大限に育むためではなく、面倒な子育てを引き受けるためのシステムでしかない学校教育。本来的に、人間の尊厳を踏み躙っているのである。
 一般の学校でも、特別支援学校と同程度の教職員配置を目指すべきだ。
教師の体罰をスマホ撮影する「告発動画」が相次ぐワケ

2019年11月7日木曜日

人間教育とは程遠い学校教育制度

そもそも大学教育で何を教育したいのか?
その目的は実現できているのか?

学問的教育も、職業的教育も、市民的教育も、文化的教育も、全て中途半端

そもそも大学は教育する場なのか、自ら学ぶ場なのか、探求する場なのか、、すべては学生次第・自分次第ではあるが、、大学側に多様なニーズに応えるための体制が備わっているわけでもない。

日本の大学は、社会に出る前のモラトリアム期間であるという価値が大部分。それを活かして自ら道を切り拓ければ意味はあるが、多くの場合、単に堕落する。

大学入試対策のためにそれまでの学校教育があるようなのは全くに愚かで、教育を放棄しているに等しく、その子どもの人生を棒に振るようなものだ。

残る選択肢は「センター試験」続行? 英語の次は国語……大学入試改革で起こるドミノ倒し

2019年11月4日月曜日

副反応疑いと子宮頸がんワクチンの因果関係

副反応疑いの症状は、年齢が高くなるほど自然発生率も高くなることから、自然発生時期とHPVワクチン接種の時期が重なり、さらに慣れない筋肉注射の印象が強いため、HPVワクチン接種の影響だと思い込んでいる可能性があるということだろうか?

約3万人(接種率約7割)を調査した名古屋スタディでは、副反応疑いの発生に関し、子宮頸がん(HPV)ワクチン接種の有無に有為差は認められなかったという。
https://ironna.jp/article/3583?p=1

すなわち、HPVワクチン接種をしなくとも、同様の症状は同程度に発生している。
しかし、以下の資料を見る限り、副反応疑いの発生頻度は他の予防接種に比べて高い。
https://www.jpeds.or.jp/uploads/files/VIS_04hukuhannou.yuugaijisyou.pdf
(掲載資料:2016年の厚生科学審議会部会資料)

HPVワクチン接種との因果関係が認められないのに、他の予防接種より発生頻度が高いというのはどういうことか?

名古屋スタディは対照研究で、審議会資料は接種した人のみに関する発生頻度。

HPVワクチン接種と他の予防接種との大きな違いは接種年齢と注射方法(HPVワクチンは筋肉注射だが、他は皮下注射が多い)。


接種スケジュール
https://www.know-vpd.jp/dl/schedule_age7.pdf

接種方法に関する論考
https://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03162_02

2019年11月1日金曜日

人間社会の最大のリスクは人間

ドラマ『ホットゾーン』に関するメモ

・未知なウイルスはいくらでもある。
・ウイルスや細菌は常に変異する。
・未遭遇な病原に対する免疫は備わっていない。
・権力は社会秩序を理由に情報を隠蔽しかねない。
・権力機構の内にいる者は、権力を悪用して、自らに都合の悪い情報を隠せてしまう。
・人は衝動的にミスを隠そうとする。
・人は、自らの正常性バイアスを自覚できない。
・人間組織の最大のリスクはそこにいる人間の脆さ。これを踏まえたリスクマネジメントが必要。

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